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葛飾八幡宮随神門 市川市指定有形文化財 

葛飾八幡宮参道と随神門
京成線の踏切から葛飾八幡宮の参道を眺めると、二の鳥居と公孫樹並木の奥に朱塗りの建物が見えます。市指定文化財の葛飾八幡宮随神門です。江戸時代以前の神仏混淆の時代と、明治維新後の神仏分離策による廃仏毀釈運動という時代の荒波を当時の氏子・檀家の方々の知恵で乗り越え今に伝える建物です。

※ 葛飾八幡宮周辺施設は、現在建設工事の行われているため、一部画像と異なる場合があります。画像は建設工事前のものも交じっておりいます。

市川市指定有形文化財 葛飾八幡宮随神門

葛飾八幡宮随神門

市川市指定有形文化財 葛飾八幡宮随神門

市川市有形指定文化財「随神門」は和様木造切妻造の建物です。正面柱間3間、奥行柱間2間の八脚門です。屋根は単層茅葺の構造を持った切妻型でしたが、昭和54年の改修により銅板葺きになりました。丹塗で桁行10.36m、梁行4.45mあります。
かつては、東京上野にある天台宗関東総本山東叡山寛永寺の末寺である八幡山法漸寺が別当寺として八幡宮境内にあり、随神門は法漸寺の山門として仁王像の置かれ仁王門と呼ばれていました。江戸名所図会によると、法漸寺の本尊は阿弥陀如来像、仁王門には左右に金剛・密迹像、その裏には多聞天と大黒天の像が安置されていたそうです。明治維新の神仏分離と廃仏毀釈のため日本全国で多くの仏教遺産が破棄されていたなか、葛飾八幡宮別当八幡山法漸寺のこれらの像は、当時の宮司と檀家や氏子が知恵を絞り努力したことで今も見ることができます。仁王像は市川市本行徳の海厳山徳願寺に移し、仁王門には新たに左右大臣(随神)をお迎えすることで葛飾八幡宮の随神門としこの門を破壊から守ったそうです。仁王像は徳願寺で今も大切に保存されています。
この門の梁や軒を支える組物に特色があることから、市の有形文化財に指定されています。特色は柱や梁、軒を支える組物に太い部材が使われていることです。かえる股も巨大であり、その内部には雲に龍、竹に虎などの彫刻がはめ込まれています。門全体の様式は幕末の特徴を示し、門前にある狛犬の安政2年(1855)再建の銘からもうかがえます。
なお、平成13年2月から柱根などの腐朽が著しくなったことから市指定有形文化財(建造物)保存修理事業が平成14年8月まで行われ、現在の姿になっています。また、この修理を機に正面の随神も化粧直しをし、背面には新たに白い神馬(しんめ)と四神(玄武,朱雀、青竜、白虎)が置かれました。


市川市本行徳の海厳山徳願寺の山門と二王像

本行徳の徳願寺山門剣豪宮本武蔵供養地蔵 徳願寺仁王像左徳願寺仁王像右 徳願寺山門内大黒天像徳願寺山門内多聞天像
葛飾八幡宮随神門の仁王像を移した行徳の海巌山徳願寺は、徳川将軍家と剣豪宮本武蔵ゆかりの寺としても有名です。山門の両袖に二王像、後ろには大黒天と多聞天が祀られています。また、境内には宮本武蔵を供養する石地蔵もあります。


引用、抜粋並びに参考
葛飾八幡宮内御由緒書
随神門前案内板
海厳山徳願寺前案内板
市川市ホームページ
市川市市立図書館ホームページ
江戸名所図会6 ちくま学芸文庫
房総叢書 紀元二千六百年記念 第8卷葛飾紀
房総叢書 紀元二千六百年記念 第6卷葛飾誌略
市川よみうり 2015年1月10日号
ウィッキペディア

葛飾八幡宮随神門への交通案内と所在地

葛飾八幡宮随神門の最寄り駅と住所

  • JR総武線・都営地下鉄新宿線「本八幡駅」徒歩10分
  • 京成本線「京成八幡駅」徒歩5分
  • 千葉県市川市八幡4−2−1

葛飾八幡宮随神門の地図

葛飾八幡宮随神門周辺の地図

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葛飾八幡宮周辺の地図PDF
菅野駅周辺観光名所の案内図

永井荷風ゆかり菅野と八幡の案内図

永井荷風の住んでいた菅野と八幡周辺名所の案内図のPDF

下総国総鎮守葛飾八幡宮境内の観光名所

葛飾八幡宮随神門の裏側

随神門 市指定有形文化財





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