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中山・下総・散歩道

諸願成就祈願堂(清正公大神祇堂) 中山法華経寺

法華経寺清正公大神祇堂

諸願成就祈願堂(清正公大神祇堂)

戦国武将加藤清正公は日蓮宗の大檀越だったそうです。
諸願成就祈願堂(清正公大神祇堂)御奉安の清正公大神祇は俗に「清正公さま」と呼んで親しまれ、その昔より除災開運・合格・必勝等諸願成就の強い効力のある非常にあらたかな神祇として知られ広く世衆の信仰をあつめて来ました。
素直な心で深く信仰し祈願する事によって願いが成就し、災難を除き運が開かれて、必ず幸福が得られると言われております。


法華経寺掲示板による。

加藤清正(1562〜1611)

加藤清正

加藤清正は、永禄5年(1562)尾張国中村(愛知県名古屋市中村区)に生まれ、慶長16年6月24日(1611)肥後国熊本(熊本県熊本市)に没する。享年49歳
安土桃山から江戸初期(戦国)武将。通称虎之助。豊臣秀吉の荒小姓の一人として常に秀吉に近仕し、中国征伐に従軍した。
天正9年(1581)に因幡国鳥取城(鳥取県鳥取市)、備中冠城(岡山県岡山市北区)の攻城で一番槍などの戦功をたてた。
翌天正10年には摂津山崎(京都府大山崎町)と丹波亀山で明智光秀軍との戦にも従軍する。
翌天正11年4月の柴田勝家軍と戦った賤ヶ岳(滋賀県長浜市)の戦いでは、加藤清正は「七本槍」の一人として勇名をはせた。
天正13年、従五位下主計頭に叙任され、天正15年に肥後熊本25万石に封ぜられた。
文禄・慶長の役においても、朝鮮南北の征旅は攻城野戦とも大いにふるい、鬼上官の異名をとり、特に蔚山の攻城戦での活躍は有名。
武断派として石田光成らとは和せず、慶長5年の関ヶ原の戦いでは東軍である徳川家康に加担し、九州での戦いに終始した。この功により肥後熊本52万石に加増された。また、永禄10年4月に従五位上侍従兼肥後守に叙任する。
加藤清正は築城、土木、築堤を得意とし、熊本城、名古屋城をはじめ、安土桃山から江戸初期の名城には、清正が関係したものがきわめて多い。
性格は豪毅で、『論語』を好んだと言われる。真偽に厚い人柄は、豊臣秀吉、秀頼の親子二代に仕えた功績と相まって、江戸時代以降庶民に愛され、その忠勇談は講談、小説、戯曲などを通して一般庶民に愛好された。


ブリタニカ国際大百科事典
新制版 日本史辞典 研数出版 参考


加藤清正公と日蓮宗

加藤清正公は熱心な法華経の信者であった。 これは母伊都女の感化であって、伊都女は娘時代からの日蓮宗の信者であったので、清正公は生れる前からの日蓮宗の影響を受けていたといえる。母は二人だけの貧しい生活の中に、母に信仰する姿を見て、信仰というものを成長と共に強く持ち始めた。更に津島の日蓮宗妙延寺住職日順大徳の教化偉大な物であって、清正公の崇高な人格は此の日順大徳によってつちかわれたものといっても過言ではなかろう。秀吉に仕え戦場にて生死の間にあるとき、常に頭には南無妙法蓮華経の題目をいただき、先ず口にでるのは法華経の題目であった。清正公は純情一徹で、戦場では何者もおそれず、手柄をたてれば法華経の力と信じ、ますます信仰を深めた。
 清正公は二十五才の時に難波に本妙寺を建立し父の菩提をとむらった。後に肥後の領主となって熊本城下に移した。
 更に本妙寺を初め妙法蓮華経の五文字を冠した五つの寺を建立した。則ち越後水俣の法華寺、豊後鶴崎の法心寺、長崎の本蓮寺、肥前大村の本経寺がそれである。
この他京都の本圀寺の三十三番神堂、東京池上本門寺の石段此経難持寺また神社も造営され、名古屋市では熱田神宮の鎮皇門の造営があるが焼失して今はない。
 このようにして法華経の信仰者として祀られ、日蓮宗信者はもとより広く一般にもあがめられているのも信仰により植えつけられた清正公の崇高なる人格による所以であろう。


正悦山妙行寺(愛知県名古屋市中村区)ホームページより

諸願成就祈願堂(清正公大神祇堂)のアクセスマップ

諸願成就祈願堂(清正公大神祇堂)

  • JR総武線下総中山駅下車 徒歩8分
  • 京成線京成中山駅下車 徒歩5分
  • 千葉県市川市中山2−10−1 正中山法華経寺境内

日蓮宗大本山 正中山法華経寺 境内ご案内

法華経寺本院

本院(大客殿)・鬼子母神堂(尊神堂)

本院の奥に鬼子母神堂があります。日蓮大聖人御親刻の鬼子母神像を安置されています。。怨魔退散、子育ての守護神として崇められています。
法華経寺の桜

法華経寺の四季

法華経寺の春は満開の桜に彩られます。夏は龍王池の蓮の花、秋は泣き公孫樹。大荒行入行会、大荒行成満会、節分会など季節ごとに趣があります。 また、春と秋には境内で骨董市も開かれます。

重要文化財祖師堂

祖師堂 大堂 国指定重要文化財

比翼入母屋造りのお堂。中老日法上人の作の日蓮聖人像が安置されています。両脇には当山歴代6祖の御像を奉安いたします。正面の大額「祖師堂」は本阿弥光悦筆。
重要文化財五重塔

五重塔(国指定重要文化財)

江戸時代前期元和5年(1622)18世正教院日慈上人代に本阿弥光室の本願により、加賀(石川県)前田公の寄進により建立されました。三間四面銅板葺。

重要文化財法華堂

法華堂(国指定重要文化財)

鎌倉時代文応元年(1260)創建。日蓮聖人自ら一尊四菩薩を開眼安置。百日百座説法の霊跡。
重要文化財四足門

四足門(国指定重要文化財)

切妻造檜皮葺、約七百年前鎌倉愛染堂に在ったものを移築して法華堂の正門に立てたもの。

伊東忠太作法華経寺聖教殿

聖教殿

建築家伊東忠太氏の設計。法華経寺の寺宝を保管している。11月のお風入れの際には、その一部を公開しています。
清正公大神祇堂

諸願成就祈願堂 清正公大神祇堂

清正公大神祇とは、戦国武将で大壇越の加藤清正公没後、神仏の化身として信仰するようになったのだそうです。

法華経寺の荒行堂

荒行堂

三大荒行で知られる日蓮大聖人直授の秘伝、大荒行が行われる 11月1日より2月10日までの百日間、この建物で行われます。
法華経寺の仁王門

仁王門(赤門・三門)

三門・赤門とも呼呼ばれています。広壮な建物。扁額「正中山」は桃山から江戸時代に活躍した本阿弥光悦筆によります。

法華経寺の刹堂

刹堂

十羅刹女・鬼子母尊神・大黒様を安置し、罪障消滅の霊場として、参詣者が終日、太鼓の音を響かせている。甲子の日は特別祈祷が厳修される。
法華経寺の黒門

黒門(市指定有形文化財)

総門とも呼ばれています。古風にして雄大、太田資順筆の如来滅後、閻浮提内、本化菩薩、初転法輪、法華道場の額を揚げてあります。

日蓮聖人開眼八大龍王堂

八大龍王堂

日蓮聖人開眼の八大龍王を祠る御堂。雨乞の霊験ありと伝えられています。近年は商売繁盛の守護神として参詣者が後を絶ちません。
宇賀徳正神の本社

宇賀神堂

法華経寺の守護の宇賀徳正神の本社であり、財福の神として広く知られている。この裏手に清正公堂や太田稲荷が祀られている。

酉の市と法華経寺妙見堂

妙見堂

千葉家伝来の北辰妙見尊星を第3代日祐上人が正法護持国土安穏除災招福の守護神として奉安する。11月には酉の市も行われます。
法華経寺の奥之院

法華経寺奥ノ院

奥之院は日蓮聖人がはじめて説法をした地とされています。また、法華経寺第一世貫主、日常聖人が法華寺を建立した地です。

法華経寺の大仏

大仏(釈迦如来坐像)

享保4年(1719)法華経寺59世日禅上人代に鋳造され身丈1丈6尺台座2間半、鋳像では千葉県一を誇る大きさである。
日常聖人と泣き銀杏

日常聖人像と泣き公孫樹杏

中山法華経寺第一世貫主日常聖人の銅像です。奥之院にもあります。そして日常聖人と息子の日頂上人ゆかりの泣き公孫樹。

鏡池跡、絵馬堂、鐘楼堂

鏡池跡、絵馬堂、宝殿門、龍閑橋

法華経寺には重要文化財以外にも、鏡池跡、龍閑橋、宝殿門、鐘楼堂、そしてその周りには季節ごとに咲く花々があります。
本阿弥光悦ゆかりの法華経寺

法華経寺とゆかりの文人・芸術家

安土桃山から江戸初期にかけて活躍した芸術家本阿弥光悦のほか、連歌師宗長、明治の詩人正岡子規ほか法華経寺を訪れています。

桜の花見の名所中山法華経寺

桜のお花見の名所 中山法華経寺

中山法華経寺は桜のお花見の名所として、桜の季節にはたくさんの参拝客で賑わいます。