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中山・下総・散歩道

中山法華経寺奥之院は日蓮聖人がはじめて説法をした梅の咲く古刹

中山奥之院中山奥之院本殿と桜の花中山奥之院の赤門と桜の花中山奥之院の桜の木奥之院の梅園の門中山奥之院の紅梅と白梅

大本山 正中山法華経寺 奥之院

中山奥之院は日蓮聖人がはじめて説法をした地とされています。また、法華経寺第一世貫主、日常聖人が法華寺を建立した地でもあります。奥之院に祀られる七福神の弁財天は、法華経寺の宇賀神堂に祀られている宇賀徳正神と対になるのではないかと、奥之院弁財天案内版に説明されています。そして奥之院弁財天は市川七福神の弁財天でもあります。また、境内にはたくさんの梅の木が植えられ、毎年早春ににかけて白梅と紅梅が芳しく咲き誇ります。

中山法華経寺奥之院

日蓮聖人初説法の碑 日常聖人のお墓への門 奥之院本堂 奥之院の御堂

奥之院(若宮館跡)

鎌倉時代の中頃、下総国の守護千葉頼胤に仕えた富木常忍は、八幡荘若宮と呼ばれたこの地に館を構え、幕府のある鎌倉との間を往復しました。そこでたまたま布教に懸命だった日蓮と出会い、熱心な信者となったのです。
 そうしたところから、文応元年(1260)日蓮は、鎌倉の松葉ヶ谷で焼打ちにあったとき、この上人を頼って若宮に難を逃れました。この時、常忍は館の中に法華堂を建て、日蓮を迎えて説法を願いました。さらに日蓮は、文永元年(1264)安房の小松原で東条景信に襲われた後も、若宮に身を寄せました。この若宮法華堂で開かれた日蓮の説法は、実に百回に及んだといわれます。この地が日蓮の「初転戦法輪の旧跡」とされるのは、この理由からです。このことで中山の太田乗明、曽谷の曽谷教信など、日蓮の信者になった人々は多く、また日蓮にまつわる数多くの伝承も残されています。
弘安五年(1282)日蓮の入滅後、常忍は出家して日常と号し、法華堂を改めて法華寺と称しました。この法華寺は後に中山の本妙寺と合体して法華経寺となり、日常を第一世とし、法華経寺は奥之院と称されるようになりました。
いまでも土が高く盛られ、大樹の繁っている部分は、往時の館を取り囲む土塁の一部で、この館の跡を「若宮館跡」と呼んでいます。
平成十三年三月 市川市教育委員会

中山奥之院境内案内板より


江戸名所図会によると、日蓮聖人が一尊四菩薩を御手刻した地でもあり、第12世日b上人(1532〜1598)が法華一万部の経塚を築き、日法上人の作の宗祖大士の影像をお祀りしたとしるされています。


抜粋・引用並びに参考
中山奥之院境内案内板
江戸名所図会6 ちくま学芸文庫
市川市ホームページ

弁財天 市川市七福神

中山奥之院弁財天

弁財天

七福神の中で唯一の女神で、もとはサラスパティというインド古代神話に現れる大河の神で梵天の妃といわれている。
サラスバティは、「水を有するもの」を意味する女性名詞で、その流れる水の音にちなみ、音楽の神、弁舌(智恵)の神となり日本に伝わった当初は弁才天と呼ばれた。
仏教に弁財天を登場させたのは、「金光明最勝王経」で、弁財天はこの経を説く人や聞く人に知恵や長寿、財産を授けるとしている。しかし民衆の間では技芸の神として信仰されることが多く日本古来の神であるイチキシマヒメノミコトと習合して、白肉色で宝冠をかぶり琵琶を弾く美女の姿が一般的になった。
中世末期以降は財産の神としての信仰も生まれ、弁才天を弁財天とも書くようになり七福神の一つとして取り入れられるようになった。智恵財宝、愛嬌縁結びの徳があるといわれている。
弁財天は古来より宇賀徳正神と表裏の関係で祭祀されることを思うと、法華経寺の宇賀徳正神と当時の弁財天も表裏の関係と思われる。
願万弁財天として、多くの参拝者を集めている。
奥之院弁財天案内板より

市川七福神

  • 1番 毘沙門天 国分寺(国分3−20−1)
  • 2番 恵比須天 所願寺(宮久保4−12−3)
  • 3番 大黒天 本将寺(大野町2−919−1)
  • 4番 毘沙門天 淨光寺(大野町3−1917)
  • 5番 福禄寿・寿老人 妙正寺(北方町4−2122)
  • 6番 弁財天 中山奥之院(若宮2−21−1)
  • 7番 布袋尊 安養寺(高谷2−16−35)
  • 8番 一所七福神廻り 妙応寺(本行徳2−18)

参考
市川市ホームページ

梅の里 中山奥之院

日常聖人廟門前からの梅 中山奥之院の梅
奥之院の紅梅 中山奥之院の紅梅
中山奥之院の紅梅中山奥之院の白梅
日常聖人廟手前の紅梅

中山奥之院のアクセスマップ

  • 中山法華経寺、本院駐車場を通り、東側の道を道なりに上って5分程。
  • 京成中山駅より徒歩10分
  • JR下総中山駅より徒歩15分
中山奥之院
千葉県市川市若宮2-21-1

日蓮宗大本山 正中山法華経寺 境内ご案内

法華経寺本院

本院(大客殿)・鬼子母神堂(尊神堂)

本院の奥に鬼子母神堂があります。日蓮大聖人御親刻の鬼子母神像を安置されています。。怨魔退散、子育ての守護神として崇められています。
法華経寺の桜

法華経寺の四季

法華経寺の春は満開の桜に彩られます。夏は龍王池の蓮の花、秋は泣き公孫樹。大荒行入行会、大荒行成満会、節分会など季節ごとに趣があります。 また、春と秋には境内で骨董市も開かれます。

重要文化財祖師堂

祖師堂 大堂 国指定重要文化財

比翼入母屋造りのお堂。中老日法上人の作の日蓮聖人像が安置されています。両脇には当山歴代6祖の御像を奉安いたします。正面の大額「祖師堂」は本阿弥光悦筆。
重要文化財五重塔

五重塔(国指定重要文化財)

江戸時代前期元和5年(1622)18世正教院日慈上人代に本阿弥光室の本願により、加賀(石川県)前田公の寄進により建立されました。三間四面銅板葺。

重要文化財法華堂

法華堂(国指定重要文化財)

鎌倉時代文応元年(1260)創建。日蓮聖人自ら一尊四菩薩を開眼安置。百日百座説法の霊跡。
重要文化財四足門

四足門(国指定重要文化財)

切妻造檜皮葺、約七百年前鎌倉愛染堂に在ったものを移築して法華堂の正門に立てたもの。

伊東忠太作法華経寺聖教殿

聖教殿

建築家伊東忠太氏の設計。法華経寺の寺宝を保管している。11月のお風入れの際には、その一部を公開しています。
清正公大神祇堂

諸願成就祈願堂 清正公大神祇堂

清正公大神祇とは、戦国武将で大壇越の加藤清正公没後、神仏の化身として信仰するようになったのだそうです。

法華経寺の荒行堂

荒行堂

三大荒行で知られる日蓮大聖人直授の秘伝、大荒行が行われる 11月1日より2月10日までの百日間、この建物で行われます。
法華経寺の仁王門

仁王門(赤門・三門)

三門・赤門とも呼呼ばれています。広壮な建物。扁額「正中山」は桃山から江戸時代に活躍した本阿弥光悦筆によります。

法華経寺の刹堂

刹堂

十羅刹女・鬼子母尊神・大黒様を安置し、罪障消滅の霊場として、参詣者が終日、太鼓の音を響かせている。甲子の日は特別祈祷が厳修される。
法華経寺の黒門

黒門(市指定有形文化財)

総門とも呼ばれています。古風にして雄大、太田資順筆の如来滅後、閻浮提内、本化菩薩、初転法輪、法華道場の額を揚げてあります。

日蓮聖人開眼八大龍王堂

八大龍王堂

日蓮聖人開眼の八大龍王を祠る御堂。雨乞の霊験ありと伝えられています。近年は商売繁盛の守護神として参詣者が後を絶ちません。
宇賀徳正神の本社

宇賀神堂

法華経寺の守護の宇賀徳正神の本社であり、財福の神として広く知られている。この裏手に清正公堂や太田稲荷が祀られている。

酉の市と法華経寺妙見堂

妙見堂

千葉家伝来の北辰妙見尊星を第3代日祐上人が正法護持国土安穏除災招福の守護神として奉安する。11月には酉の市も行われます。
法華経寺の奥之院

法華経寺奥ノ院

奥之院は日蓮聖人がはじめて説法をした地とされています。また、法華経寺第一世貫主、日常聖人が法華寺を建立した地です。

法華経寺の大仏

大仏(釈迦如来坐像)

享保4年(1719)法華経寺59世日禅上人代に鋳造され身丈1丈6尺台座2間半、鋳像では千葉県一を誇る大きさである。
日常聖人と泣き銀杏

日常聖人像と泣き公孫樹

中山法華経寺第一世貫主日常聖人の銅像です。奥之院にもあります。そして日常聖人と息子の日頂上人ゆかりの泣き公孫樹。

鏡池跡、絵馬堂、鐘楼堂

鏡池跡、絵馬堂、宝殿門、龍閑橋

法華経寺には重要文化財以外にも、鏡池跡、龍閑橋、宝殿門、鐘楼堂、そしてその周りには季節ごとに咲く花々があります。
本阿弥光悦ゆかりの法華経寺

法華経寺とゆかりの文人・芸術家

安土桃山から江戸初期にかけて活躍した芸術家本阿弥光悦のほか、連歌師宗長、明治の詩人正岡子規ほか法華経寺を訪れています。

桜の花見の名所中山法華経寺

桜のお花見の名所 中山法華経寺

中山法華経寺は桜のお花見の名所として、桜の季節にはたくさんの参拝客で賑わいます。