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中山・下総・散歩道

大本山 正中山法華経寺 刹堂

中山法華経寺刹堂

大本山 正中山法華経寺 刹堂

祖師堂奥の小高い丘の上にあり、まるで山寺のような急な角度の入母屋屋根が特徴の可愛らしい建物です。
十羅刹女・鬼子母尊神・大黒様を安置し、罪障消滅の霊場として、参詣者が終日、太鼓の音を響かせている。甲子の日は特別祈祷が厳修される。

十羅刹女(じゅうらせつにょ)

『法華経』陀羅尼品(だらにほん)に説く、同経を守護する10人の鬼神。法華経に説かれる10人の羅刹女、藍婆(らんば)・毘藍婆(びらんば)・曲歯(こくし)・華歯(けし)・黒歯・多髪・無厭足(むえんぞく)・持瓔珞(じようらく)・皐諦(こうたい)・奪一切衆生精。初め、人の精気を奪う鬼女であったが、のちに鬼子母神らとともに仏の説法に接し、法華行者を守る神女となった。像容は天女形で、忿怒形に描かれることはない。装束は唐風、和風の二様あり、持物は必ずしも一定しない。「平家納経」「扇面法華経冊子」のように、「法華経」の見返し絵や表紙に描かれるほか、「普賢十羅刹女図」として白象に乗った普賢菩薩に伴って描かれることも多い。(廬山寺本、日野原家本)。

鬼子母神(きしぼじん又はきしもじん)

仏教の守護神、安産と育児(幼児保護)の神。ふつう一児を抱き、手にざくろを持った天女の姿をとる。。サンスクリット語でハーリーティーHaritiといわれる鬼女。訶梨帝母(かりていも)、歓喜母ともいう。
 仏教の伝説によると、釈尊在世の頃、もと夜叉の娘のこの鬼女が王舎城に出現して、民衆の千人もの子供を奪い食ったため、釈尊はその最愛の一児を隠し、この鬼女を教導され、五戒を受け、のちに仏教に帰依し出産・育児の神となった。また、以後王舎城の守護神となったといわれる。
 日本では主として、安産、保育の神として信仰され、ときに盗難よけの神ともされる。しかし仏教に取入れられる以前のインドでは生産の神として信仰されたと考えられる。
 像容は天女形と鬼神形とがある。京都醍醐寺蔵の「訶梨帝母像」は柔和でふくよかな容貌で、宋画の影響を受けた12世紀後半の仏画の新傾向を示す遺例。彫像は滋賀園城寺、東大寺などにすぐれた遺品がある。
法華経寺では高祖日蓮大聖人御真刻の鬼子母神像が本院奥の鬼子母神堂に安置されている。この像は、文永元年(1264)11月11日、日蓮聖人は小松原で眉間に傷を負う危難に遭遇した際、鬼子母神が出現し大聖人の一命が救われ、中山に避難し養生のかたわら鬼子母神霊験に深く感じその尊像を自ら彫刻開眼されたものと伝えられています。

大黒天

梵語Mahakala摩訶迦羅と音写される。
 もとインドで破壊を意味する暗黒の神。密教では、胎蔵界曼荼羅の最外院北方に属し、三面六臂で忿怒の黒色形相をもつとされる大自在天の化身、又は眷属として仏・法・僧の三宝を守護し、戦闘をつかさどる神。のちに飲食をつかさどる神となり、忿怒(ふんぬ)相を示す。寺院の厨房などに祭られた。
 最澄が日本に伝え、比叡山に祀ったのが最初。
 七福神の一。米俵の上に乗り、頭巾をかぶり、右手に打ち出の小槌を持ち、大きな袋を左肩に担ぐ像で表される。大国と混同し、中世以降、大国主命と同一視されて広く信仰され、恵比須とともに福徳の神とされる。
 武装忿怒の大黒天像は、滋賀明寿院に伝わる半跏像など、藤原時代の作例がいくつかあるが、多くは袋を背にかけた法衣の姿で、福岡観世音寺に藤原時代の遺品が伝わる。鎌倉時代以後は滋賀聖衆来迎寺のものなど、大部分のものが七福神の一つとしての姿をとり、江戸時代にいたるまで急激に増加した。

ブリタニカ国際大百科
明鏡国語辞典
デジタル大辞林
法華経寺ホームページ
中山法華経寺刹堂前庭

正中山法華経寺 刹堂のアクセスマップ

正中山法華経寺 刹堂

  • JR総武線下総中山駅下車 徒歩8分
  • 京成線京成中山駅下車 徒歩5分
  • 千葉県市川市中山2−10−1 正中山法華経寺境内

日蓮宗大本山 正中山法華経寺 境内ご案内

法華経寺本院

本院(大客殿)・鬼子母神堂(尊神堂)

本院の奥に鬼子母神堂があります。日蓮大聖人御親刻の鬼子母神像を安置されています。。怨魔退散、子育ての守護神として崇められています。
法華経寺の桜

法華経寺の四季

法華経寺の春は満開の桜に彩られます。夏は龍王池の蓮の花、秋は泣き公孫樹。大荒行入行会、大荒行成満会、節分会など季節ごとに趣があります。 また、春と秋には境内で骨董市も開かれます。

重要文化財祖師堂

祖師堂 大堂 国指定重要文化財

比翼入母屋造りのお堂。中老日法上人の作の日蓮聖人像が安置されています。両脇には当山歴代6祖の御像を奉安いたします。正面の大額「祖師堂」は本阿弥光悦筆。
重要文化財五重塔

五重塔(国指定重要文化財)

江戸時代前期元和5年(1622)18世正教院日慈上人代に本阿弥光室の本願により、加賀(石川県)前田公の寄進により建立されました。三間四面銅板葺。

重要文化財法華堂

法華堂(国指定重要文化財)

鎌倉時代文応元年(1260)創建。日蓮聖人自ら一尊四菩薩を開眼安置。百日百座説法の霊跡。
重要文化財四足門

四足門(国指定重要文化財)

切妻造檜皮葺、約七百年前鎌倉愛染堂に在ったものを移築して法華堂の正門に立てたもの。

伊東忠太作法華経寺聖教殿

聖教殿

建築家伊東忠太氏の設計。法華経寺の寺宝を保管している。11月のお風入れの際には、その一部を公開しています。
清正公大神祇堂

諸願成就祈願堂(清正公大神祇堂)

清正公大神祇とは、戦国武将で大壇越の加藤清正公没後、神仏の化身として信仰するようになったのだそうです。

法華経寺の荒行堂

荒行堂

三大荒行で知られる日蓮大聖人直授の秘伝、大荒行が行われる 11月1日より2月10日までの百日間、この建物で行われます。
法華経寺の仁王門

仁王門(赤門・三門)

三門・赤門とも呼呼ばれています。広壮な建物。扁額「正中山」は桃山から江戸時代に活躍した本阿弥光悦筆によります。

法華経寺の刹堂

刹堂

十羅刹女・鬼子母尊神・大黒様を安置し、罪障消滅の霊場として、参詣者が終日、太鼓の音を響かせている。甲子の日は特別祈祷が厳修される。
法華経寺の黒門

黒門(市指定有形文化財)

総門とも呼ばれています。古風にして雄大、太田資順筆の如来滅後、閻浮提内、本化菩薩、初転法輪、法華道場の額を揚げてあります。

日蓮聖人開眼八大龍王堂

八大龍王堂

日蓮聖人開眼の八大龍王を祠る御堂。雨乞の霊験ありと伝えられています。近年は商売繁盛の守護神として参詣者が後を絶ちません。
宇賀徳正神の本社

宇賀神堂

法華経寺の守護の宇賀徳正神の本社であり、財福の神として広く知られている。この裏手に清正公堂や太田稲荷が祀られている。

酉の市と法華経寺妙見堂

妙見堂

千葉家伝来の北辰妙見尊星を第3代日祐上人が正法護持国土安穏除災招福の守護神として奉安する。11月には酉の市も行われます。
法華経寺の奥之院

法華経寺奥ノ院

奥之院は日蓮聖人がはじめて説法をした地とされています。また、法華経寺第一世貫主、日常聖人が法華寺を建立した地です。

法華経寺の大仏

大仏(釈迦如来坐像)

享保4年(1719)法華経寺59世日禅上人代に鋳造され身丈1丈6尺台座2間半、鋳像では千葉県一を誇る大きさである。
日常聖人と泣き銀杏

日常聖人像と泣き公孫樹

中山法華経寺第一世貫主日常聖人の銅像です。奥之院にもあります。そして日常聖人と息子の日頂上人ゆかりの泣き公孫樹。

鏡池跡、絵馬堂、鐘楼堂

鏡池跡、絵馬堂、宝殿門、龍閑橋

法華経寺には重要文化財以外にも、鏡池跡、龍閑橋、宝殿門、鐘楼堂、そしてその周りには季節ごとに咲く花々があります。
本阿弥光悦ゆかりの法華経寺

法華経寺とゆかりの文人・芸術家

安土桃山から江戸初期にかけて活躍した芸術家本阿弥光悦のほか、連歌師宗長、明治の詩人正岡子規ほか法華経寺を訪れています。

桜の花見の名所中山法華経寺

桜のお花見の名所 中山法華経寺

中山法華経寺は桜のお花見の名所として、桜の季節にはたくさんの参拝客で賑わいます。