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中山・下総・散歩道

市川七福神めぐりVisit shichifukujin in ichikawa

市川七福神めぐり

妙応寺の七福神像所願寺の恵比寿天
国分寺の毘沙門天安養寺の布袋尊
七福神めぐりは日本各地にあります。市川市にも平成15年に市川七福神めぐりが発足しました。市川七福神めぐりは、市川市の歴史と風土に触れることのできる素敵な散歩道。北は市川特産の梨園が広がる大野、南は江戸の東の玄関行徳、東は国分、西は若宮と市川市内を縦横に点在する七福神をめぐるコースです。また、行基菩薩建立と伝えられる国分寺、日蓮宗開祖の日蓮が初めて説法をした地として知られる中山奥の院、日蓮宗初の尼寺妙正寺、そして行徳寺町にある妙応寺など、市川の歴史と文化を十分に堪能できる寺院と地域を訪れる七福神めぐりでもあります。市川七福神めぐりをお楽しみください。

市川七福神

市川七福神の寺院



七福神の由来

七福神とは、大黒天(だいこくてん)・毘沙門天(びしゃもんてん)・恵比寿天(えびすてん)・寿老人(じゅろうじん)・福禄寿(ふくろくじゅ)・弁財天(べんざいてん)・布袋尊(ほていそん)の七つの神様のそうしょうである。金銀財宝を満載した宝船に乗った姿で描かれることの多い七福神だが、七福神をまとめて崇拝するようになったのは、室町時代の末期のころからである。大黒天や毘沙門天、弁財天といった仏法の守護者や民間信仰に根ざす恵比寿天など、雑多な福神を「七」の聖数にはめた七福神信仰が、民衆の生活の中に深く浸透したのは、現世における蓄財の観念が生まれてきたからであると推察される。特に商人社会では、福徳施与の神として崇められてきた。また、「七難即滅・七福即生」の説にあるように、七福神を崇拝する七つの災難が除かれ、七つの幸福が授かると言われている。

正国山妙応寺七福神前案内板より


毘沙門天

七福神の中で、唯一武将の姿をしていて、黄色の身で、忿怒の相をし、甲冑に身につけ、右手に宝棒、左手に宝塔、足の下に邪鬼天の邪鬼を踏みつけている。仏教の御法神で、サンスクリット語ではVaisravanaと呼ばれ多聞と訳します。そのため仏教では別名「多聞天」という名で呼ばれることもある。ヒンズー教ではクーベラの異名を持ち、財宝・福徳をつかさどる神になり、夜叉、羅刹を率い、帝釈天に属して北方を守る神とされた。仏教に取入れられてからは四天王の一尊になり、須弥山の北方に住み、多数の夜叉を率いて北方を守る護法の善神になった。また、密教では十二天の一つ。四天王像としては、法隆寺金堂の「多聞天像」が古く、鞍馬寺本堂、高知県雪渓寺なども有名。日本では七福神の一つとして、財宝をもたらす神として信仰を集めている。財宝を施す神として施財天ともいわれる。融通招福の神として信仰されている。

国分山国分寺毘沙門天前案内板より


恵比寿天

七福神の中で恵比寿神は唯一、日本生まれの神様です。姿からも想像できるように初めの頃は海辺の漁民の信仰する神様でした。一説では彦火々出見尊という釣り好きな神様とされ、また別説では出雲の三穂埼で釣りをしたという事代主命とされるが、一般的には伊弉諾尊と伊弉冉尊の間に生まれた蛭子尊だとされています。
初めは漁民の神様だった恵比寿神も海産物の売買を通して市の神様となり、商売繁盛の神様として広く商家の人々に信仰されつようになりました。その結果、福徳をもたらす福神として日本各地に祀られています。
恵比寿様の釣り竿に結んだ赤い布は、幸せになりタイ、子宝を授かりタイ、願いをかなえタイ等々、「願かけ帯」です。赤い帯はお寺におたずね下さい。
如意山所願寺

如意山所願寺恵比寿天前案内板より


大黒天

大黒天は、もとはインドの神様で、仏法を守り、飯食を豊かに、福徳の神として崇められ、仏教では、福徳円満自在菩薩の化身と説かれています。そのお姿は、笑顔で、頭には頭巾、左手に袋、右手に小槌を持ち、米俵の上に立たれています。小槌、袋、俵は福禄寿の宝を表しています。
日蓮大聖人は、富木日常上人に大黒天を供養することを勧められ「日々を安楽にすごしておられるか、この大黒天を信仰すれば、所願円満成就し、現世安穏後生善処の薬を得るであろう」と教えられ、以後、日蓮宗の守護神として祀られています。当山では、第41世日誠上人が、日蓮宗大荒行堂で開眼された尊像が、本堂に安置されています。

皆原山本將寺


皆原山本將寺大黒天像脇案内板より


福・禄・壽

福とはよい人間関係に恵まれる幸せ、禄とは財産に恵まれる幸せ、壽とは生命、健康に恵まれる幸せ、人間の幸せの根源を具現化した神様です。

壽老人

長命、天壽全うを願い、種々の病の平癒と人々の安全と健康を守る神様です。

これらの神様にあやかれば、大きな病気もせず日々健康に暮らせ、不老長寿を授かることができるといわれています。

龍経山妙正寺

龍経山妙正寺壽老人と福・禄・壽石像脇案内板より


弁財天

七福神の中で唯一の女神で、もとはサラスパティというインド古代神話に現れる大河の神で梵天の妃といわれている。
サラスバティは、「水を有するもの」を意味する女性名詞で、その流れる水の音にちなみ、音楽の神、弁舌(智恵)の神となり日本に伝わった当初は弁才天と呼ばれた。
仏教に弁財天を登場させたのは、「金光明最勝王経」で、弁財天はこの経を説く人や聞く人に知恵や長寿、財産を授けるとしている。しかし民衆の間では技芸の神として信仰されることが多く日本古来の神であるイチキシマヒメノミコトと習合して、白肉色で宝冠をかぶり琵琶を弾く美女の姿が一般的になった。
中世末期以降は財産の神としての信仰も生まれ、弁才天を弁財天とも書くようになり七福神の一つとして取り入れられるようになった。智恵財宝、愛嬌縁結びの徳があるといわれている。
弁財天は古来より宇賀徳正神と表裏の関係で祭祀されることを思うと、法華経寺の宇賀徳正神と当時の弁財天も表裏の関係と思われる。
願万弁財天として、多くの参拝者を集めている。
中山奥之院弁財天前案内板より


布袋尊

唐時代末に実在した禅僧。名は契此(けいし)、号を長汀子(ちょうていし)という。福々しい面相で、巨腹をもち、布の袋を背負って旅をする修行僧として知られ、大きな袋にはさまざまな財貨が入っていて、布袋の行くところ幸運がもたらされるという信仰が生じた。世紀末に出現する弥勒の化身ともされる。日本には室町時代、禅画の渡来とともに受容され七福神の一つとして民間に広まった。
笑門来福・夫婦円満・子宝の神として信仰が厚い。

海岸山高谷院安養寺布袋尊前案内板より


出典・抜粋・引用および参考
正国山妙応寺七福神前案内板
国分山国分寺毘沙門天前案内板
如意山所願寺恵比寿天前案内板
皆原山本將寺大黒天像脇案内板
龍経山妙正寺壽老人と福・禄・壽石像脇案内板
中山奥之院弁財天前案内板
海岸山高谷院安養寺布袋尊前案内板
市川市ホームページ