題目山常運寺|枕返しのお祖師様
東西方向に走る寺町通りの南側の寺院はどうしても門が北向きになります。
題目山常運寺の門も北にあり、そして本堂も北向きにあるお寺です。「
北向きの御祖師様」とも呼ばれています。
中山にある法華経寺の裏鬼門の守りとして、法華経寺の方向を向いているのだそうです。
高い壁に囲まれ、参道には石畳が整然と敷かれた現代的な常運寺の境内に植えられたきちんと刈り込まれた松には印象的な美しさがあります。
題目山常運寺
題目山常運寺 由来・いわれ
小田原北条氏の家臣野地氏、常運院日信が、
中山法華経寺に金堂の大仏を奉納した代わりに本尊を授与され、元和2年(1616年)に開いた。
題目山常運寺 歳時・みどころ
本尊 読経日蓮大菩薩(枕かえしの祖師)
中山法華経寺三代管主の日祐上人の作で、「亡くなったらお墓のところに小屋を造ってお祀りしてくれ」と言い残して亡くなった。
その後お参りに行くと、この像から南無妙法蓮華経の声が聞こえたといわれている。
御施餓鬼会 8月23日
御会式 11月12日
題目山常運寺門前案内板より
枕返しの御祖師様と勝姫龍神伝説
枕返しの御祖師様
常運寺と道を隔てて北側にある
徳願寺の住職が、自身の寺の本尊に足を向けて眠ることを憚って北向きで、つまり常運寺に足を向けて寝ていたところ、朝起きると南向きつまり常運寺の方に頭を向けていたというユーモラスな伝説です。
勝姫龍神伝説
勝姫龍神は、常運寺第34世日英上人が北条氏5代目当主氏直の姫勝姫の霊を慰めるために祀ったという伝説があります。
勝姫龍神の碑
抑當姫塚は開基日信上人
天正18年7月北條家滅亡に際し、氏直の女勝姫を預り逃れて當所に来り、主家の菩提を弔う。姫18歳の秋、故ありて自刃す、然れとも世間に憚りて建塔の事なく、上人密に弔うと□。以来幾百星霜、姫の霊を□むべき何物もなし。幸いにも比度野地氏の篤信により、姫の霊を呼び北條家一門の幽魂を祀りて、題目山鎮護の神と致す。不思議、病、痛に悩む者、詣して祈念し除病延命顕益を得えんと□云。
昭和8年10月
勝姫龍神の碑より
出典・抜粋・引用および参考
勝姫龍神の碑
改訂新版 市川のむかし話
題目山常運寺門前案内板
市川市ホームページ
題目山常運寺の最寄り駅と住所
千葉県市川市本行徳6-3
東京メトロ東西線「妙典駅」より徒歩10分
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題目山常運寺
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