江戸の紅葉狩りの名所真間山弘法寺とゆかりの歌人
広重の名所江戸百景に描かれ、江戸名所図会に紹介された市川市真間にある真間山弘法寺、いずれも
紅葉の名所として紹介しています。いまも紅葉の季節には木々は美しくいろづき、境内にある堂宇を彩ります。
また、万葉の里真間の地は昔から多くの文人や歌人に歌われました。正岡子規、伊藤佐千夫、北原白秋ほか多くの歌人が真間山弘法寺にも訪れ、真間山をうたった歌が残っています。境内には小林一茶、水原秋櫻子、富安風生の歌碑も建てられています。
江戸時代、多くの人々に愛された真間山弘法寺の紅葉は今も健在です。今でも真間にはひっそりと秋は訪れます。
弘法寺の仁王門と鐘楼堂は色づいた木々に包まれ、赤門のをくぐるとそこは紅葉の里。里見竜神堂も大黒堂も秋の木々に彩られます。
真間山弘法寺と歌人
万葉の里の中心的な位置にある真間山弘法寺。万葉の頃より多くの歌人に詠われた里であり、山内にも小林一茶、水原秋櫻子、富安風生の歌碑もあります。
- 真間寺で 斯う拾いしよ 散紅葉 小林一茶
- 梨咲くと 葛飾の野はとのぐもり 水原秋櫻子
- まさをなる 空よりしだれざくらかな 富安風生
真間山弘法寺は正岡子規、真間に一時住んでいた北原白秋、野菊の墓の伊藤左千夫にも歌われています。
- 真間寺や枯木の中の仁王門 全集2巻p381
- 冬枯やはるかに見ゆる真間の寺 全集13巻p606
北原白秋
- 蓮の池埋めてまま食ふ真間の寺南無妙法蓮華経今の日蓮 全集32巻p3〜51
- 山かげの真間の庵の白つつじにほへる妹と夜を楽しめり 全集7巻p153
伊藤左千夫
- 古寺の庫裏くれ近く庭を寒みかくろき土に梅の花咲く 全集1巻p543
参考文献
真間山弘法寺内歌碑
講談社「子規全集」
岩波書店「白秋全集」
岩波書店「左千夫全集」
真間山弘法寺からの眺望
江戸時代には真間山弘法寺の境内から江戸城まで見えたと「江戸名所図会」にあり、露伴全集にも「真間山の石段から門をかけて、下から仰いで見たところも一寸好いし上から見たのも好いが・・・」と書かれてる真間山弘法寺の石段からの眺望。今では高い建物もあり、それほど遠くまで見ることはできませんが、市川市の市街地を望むことができます。春にはすぐ近くの
須和田公園の桜も見ることができます。
参考
真間山弘法寺ホームページ
市川市ホームページ
真間山弘法寺内案内板
改訂新版「市川のむかし話」
新訂「江戸名所図会6」ちくま学芸文庫
「露伴全集」岩波書店
ウィッキペディア
真間山弘法寺ゆかりの歌人
小林一茶 宝暦13年(1763)〜文政年10(1827)
小林一茶は江戸時代後期の俳人。信濃の農民の子、名は信行、通称は弥太郎。
3歳で母を失い、8歳のとき迎えた継母と不和で、14歳の春江戸に出て葛飾派の二六庵竹阿に俳諧を学ぶ。後に諸国を行脚し、晩年は故郷に定住。享和1(1801)年39歳で父と死別し、継母らと遺産をあらそい、文化10年(1827)火事に遭いにあい、土蔵に起臥するうち中風を発して死亡。幼時から逆境にあり、「我と来て遊べや親のない雀」は,そのころを追想した区といわれている。不幸の中で、俗語・方言を交え、屈折した感情に基づく独自の作風を示した。
- めでたさも中くらいなりおらが春
- やせ蛙まけるな一茶これにあり
- 雀の子そこのけそこのけお馬が通る
著書に、「旅拾遺」(1795)、「父の終焉日記」(1801)、「三韓人」(1814)、「七番日記」(1810〜1818)「おらが春」など。
水原秋桜子 (1892〜1981)
東京都神田生まれの俳人、医学博士。本名は水原豊。東京大学医学部卒業。家業の産婦人科病院の経営のかたわら昭和医専教授(1928)、宮内省侍医寮御用掛(1932)を歴任。
1922年「東大俳句会」富安風生と参加。高浜虚子師事し頭角を現す。阿波野青畝、山口誓子、高野素十とともにいわゆる「ホトトギス」の四S時代と呼ばれる黄金時代を築く。虚子の写生観、素十らの細密写生を対立し虚子門を去る。俳句雑誌「馬酔木」を主宰し、新興俳句を推進。石田波郷、加藤楸邨らの俊秀を育てた。日本芸術院賞受賞(1964年)。芸術院会員(1966年)。
また、水原秋桜子は、小学校の頃から高等学校時代を通じて、
真間山や国府台を何度か訪れている。
代表句集「葛飾(1930)」「新樹(1933)」「秋苑(1935)」「古鏡(1942)」「磐梯(1943)」「霜林(1950)」「残鐘(1952)」
富安風生(1885〜1979)
俳人、逓信省次官。愛知県の生まれ。本名、富安謙次。東京大学法学部卒業し、逓信省に入省する。
吉岡禅寺洞とともに句作し、22年水原秋桜子らと東大俳句会を復興、そして高浜虚子に師事し「ホトトギス」の同人となる。「若葉」を主宰する。読売俳壇選者。日本芸術院賞受賞(1971年)。日本芸術院会員(1975年)。
28年以来俳誌「若葉」を育成しながら、「草の花(1933)」「松籟(1940)」「晩涼(1955)」「古稀春風(1957)」「喜寿以後(1965)」「齢愛し(1978)」などの句集を発表する。
真間山弘法寺には、しばしば吟行していた。
参考
市川市ホームページ
市川市図書館ホームページ
デジタル大辞泉
ブリタニカ国際大百科
デジタル版 日本人名大辞典
美術人名辞典
百科事典マイペディア
日本大百科全書(ニッポニカ)
ウィッキペディア
紅葉の名所 真間山弘法寺への交通案内と所在地
真間山弘法寺の最寄り駅と住所
- JR総武線・総武快速線「市川駅」徒歩15分
- 京成本線「国府台駅」・「市川真間駅」徒歩10分
- 千葉県市川市真間4−9−1
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