小説「五重塔」で知られる幸田露伴ゆかりの散歩道
明治から昭和にかけての小説家で随筆家の幸田露伴は市川市八幡の白幡天神社近くに第二次世界大戦後に住み、翌年80歳の生涯を閉じました。
幸田露伴は晩年の1年ほどを市川で過ごしただけではなく、きっと彼の80年の人生の間に幾度となく訪れたことでしょう。もちろん白幡天神社を訪れたことでしょう、白幡天神社には
幸田露伴文学碑が建てられています。
市川市と幸田露伴のつながりはどうもかなり長いようです。露伴は何度も市川を旅したのでしょう。露伴の随筆の中に幾度か市川市内の情景が描写されています。彼の作品の中に、国府台や真間山、手児奈、矢切の渡し等が描かれ、特に真間山弘法寺の石段からの眺めや、矢切の渡しからの眺めを楽しんでています。また小説「五重塔」の中にも「中山の鬼子母神様の御利益で満足には育ちましたが・・・」という一節があります。その他にも幸田露伴は小説「日蓮上人」の中に中山法華経寺、富木常人や若宮館こと中山奥之院が登場し、随筆「山部赤人」の中には真間の入り江や真間の井が紹介されています。
このページでは、幸田露伴がおそらく歩き、そして露伴の小説や随筆に登場する名所をご案内致します。
幸田露伴ゆかりの観光名所 ご案内
幸田露伴文学碑のほかに、永井荷風の文学碑、そして勝海舟筆の扁額のある古社。
日蓮聖人ゆかりの国宝・重要文化財を含む多くの 文物や伝説が今も大切に保存されています。
幸田露伴の小説「五重塔」に登場する江戸三大鬼子母神に数えられる中山法華経寺の鬼子母神堂。
日蓮聖人がはじめて説法をした地。法華経寺初代貫首となった富木常忍(日常聖人)の館跡(若宮館跡)。
万葉集に登場する橋。その後、多くの短歌に詠われた名所。
手児奈が身を投げたと伝えられている「真間の井」のある寺院。
矢切の渡し
伊藤佐千夫の小説「野菊の墓」にも登場する渡し場。
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