白幡天神社|東国の英雄達ゆかりの神社
JR本八幡駅と京成八幡駅から住宅街の細い道に、
永井荷風お気に入り、春は様々な梅を楽しめる
白幡天神社があります。境内には永井荷風と幸田露伴の記念碑があり、社額は幕末の英雄勝海舟によるものだそうです。石橋山合戦後、再起を図った頼朝が下総国国府に向かう際に陣を張り、江戸と小江戸を建設した太田道灌が社殿を造営したとあります。白幡天神者は、東国武士の英雄とゆかりのある古社です。
春2月から4月まで、境内は梅や桜に彩られます。
白幡天神社御縁起
白幡天神社御由緒
當宮の創建は不詳なれど治承4年(西暦1180年)源頼朝が安房の国に旗揚げの際、この地に白旗を掲げたるをもって白幡と名付けられたと伝えられております。其の後正親町天皇の御代、天正12年(西暦1584年)に御社殿改築の記録を残し、太田道灌によって御造営されたともいわれる古社であります。また、昭和59年には、神社本庁振興対策モデル神社の指定をうけるにいたりました。御拝殿に掲げられております社額は、勝海舟揮毫によるものであります。明治12年の御社殿造営を記念する板絵は、柴田是真作のもので市の重要文化財に指定されております。御祭神の武内宿禰は、大変ご長命な方で、5朝の天子にお仕えされ、尽忠無二、国務を整理された功臣第一と伝えられております。
また、後に合祀されました、御祭神菅原道真公は承和12年(西暦845年)京都に誕生され、学徳見識ともに高く、志操堅固な方であり、学問の神として広く信仰を集めております。
御祭神
武内宿禰
菅原道真公
御神徳
殖産興業・開運・育児・学問・縁結びの神として御神徳を有せらる。
1180年(治承4)、源頼朝が源氏の御印である白旗を 掲げたことによる。祭神は武内宿禰(たけのうちのすくね)。 明治4年、菅原道真(天神様)を合祀し、
白幡天神社と称する。
御祭神は、武内宿禰、菅原道真公。
「白幡天神社御由緒」境内案内版より
勝海舟揮毫の御社額
白幡天神社殿内に掲示されている社額の文字は勝海舟によるもの。
勝海舟 (文政6年〜明治32年 / 1823-1899)
徳川家の旗本であり、幕末・明治時代の政治家
名前は義邦、のちに安芳。通称は麟太郎。海舟は号。
蘭学や砲術、航海術などを苦心の果てに修得し、幕府の蕃書翻訳所に出仕。1860年、幕府の使節と共に咸臨丸船長として指揮して太平洋を横断し渡米。1864年に軍艦奉行となり、幕府海軍の創設と人材育成に尽力。戊辰戦争には旧幕府を恭順論に導き、江戸開城(1868年)の際東征軍の西郷隆盛と協定、江戸無血開城を実現。
維新後、参議・海軍卿・枢密顧問官などを歴任。
著書に「開国起源」「幕末始末」「海軍歴史」「吹塵録」「氷川清話」がある。
江戸末期の幕臣・政治家。
また、勝海舟は市川市と縁が深く、行徳の自性院に海舟自筆の碑文があります。
抜粋・引用および参考
市川市ホームページ
市川市立と図書館ホームページ
日本史辞典 新制版
大辞林
世界日本人名事典
県指定有形文化財 柴田是真の連句額
白幡天神社にある柴田是真の連句額は、美術工芸品・絵画として千葉県の重要有形文化財の指定を受けています。
柴田是真 (1807-1891)
江戸後期・明治時代の江戸出身の日本画家・漆芸家。蒔絵・漆絵に独自の境地を開く。
明治23年(1890)帝室技芸員となる。
代表作は「茨木童子図額」「瀑布図屏風」
抜粋・引用および参考
市川市ホームページ
日本史辞典 新制版
大辞林
世界日本人名事典
永井荷風碑
永井荷風の日記「断腸亭日乗」に白幡天神社は数回登場します。
特に、白幡天神社脇の「牛乳パンを売る店」でおいしい牛乳パンを食べ牛乳を飲んでいたのでしょう。「東京のものよりよい」と評価もあります。
永井荷風の家から本八幡駅への通り道上にあったためか、白幡天神社は永井荷風の日常の散歩道だったようです。
石碑に刻まれた文章は、昭和21年5月11日のものです。
「…昼飯後散策、露店にて雛卵を買い白幡天神祠畔の休茶屋にて牛乳を飲む、帰途緑蔭の垣根道を歩みつつユーゴ―の詩集をよむ、砂道平らにして人来らず、唯鳥語の欣きんたるを聞くのみ、…」とあります。
他に、「五月初七日、晴、午後八幡町混堂の帰途白幡天神の境内を歩む、新緑よし、牛乳パンを売る家あり、一合三円、品質東京のものに比すれば遥かによし、」
「七月二十日、晴、午後白幡天神の林下に読書す、」
「七月三一日、晴、午後白幡天神の樹下に書をよむ、此地一帯に蝉の声少なきは地質砂多きがためなるべし、」
断腸亭日乗には以上の日付の文章があります。でも、この他にもきっと立ち寄っていた、そんな日常の散歩道。
抜粋・引用および参考
新版断腸亭日乗第六巻 岩波書店
幸田露伴 (慶応3年〜昭和22年 / 1867-1947)
江戸下谷出身の小説家・随筆家・考証家で文学博士。
本名は成行。号は蝸牛庵など。
電信技士として北海道に赴任後、上京して「風流佛」で認められる。
雄渾な擬古的文章には独特の迫力があり、尾崎紅葉と並ぶ文豪とされる。東洋的博学を基盤に随筆・史伝・考証に独自の境地を開いた。和漢仏諸学に通じ学界にも貢献。
1937年第一回文化勲章受賞。
東京文京区小石川の蝸牛庵を空襲によって失い、戦後の昭和21年に、菅野の白幡天神社の近くに移り住みました。翌年3月に、「芭蕉七部集評釈」を完成させ、7月30日に80歳の生涯を閉じました。
幸田露伴の代表作「五重塔」の中に、
中山鬼子母神が登場し、随筆には
真間山弘法寺の石段の風景が描かれています。
代表作「五重塔」「天うつ浪」「芭蕉七部集評釈」など。
抜粋・引用および参考
市川市ホームページ
市川市立と図書館ホームページ
日本史辞典 新制版
大辞林
世界日本人名事典
梅と桜の花に彩られる白幡天神社の春
2月になるといろいろな種類の色とりどりの梅の花が、白幡天神社境内だけでなく隣の公園も彩ります。
春、梅と交代で桜が咲き始めます。境内の桜の木が一斉に花をつけます。
抜粋および参考
白幡神社御社殿改築造営記念碑
市川市ホームページ
市川市立と図書館ホームページ
改訂新版 市川のむかし話
新版断腸亭日乗第六巻 岩波書店
日本史辞典 新制版
大辞林
世界日本人名事典
白幡天神社の最寄り駅と住所
- JR総武線・都営地下鉄新宿線「本八幡駅」より徒歩10分、京成本線「京成八幡駅」より徒歩8分
- 千葉県市川市菅野1−15−2
白幡天神社近くの観光名所 ご案内
平安時代創建の八幡様。多くの関東武士や文学者に信仰された神社。
様々な伝説に彩られ、江戸の昔から知られた市川市の隠れた名所。
源頼朝公の伝説のある白幡神社。参道の桜並木は、下から眺めても、上から見ても壮観。
白幡天神社
幸田露伴文学碑、永井荷風記念碑、勝海舟揮毫の社額、太田道灌と源頼朝ゆかりの古社。
長寿ふじと呼ばれる樹齢200年を超える藤の木で有名な古刹。ふじ祭りの時には参拝者で賑わいます。
菅野の住宅街にひっそりとたたずむ平将門とその将兵を生涯弔った菅野氏夫妻を祀る祠。
千葉寺の妙見菩薩像と同木で作られた妙見菩薩像を祀ることで知られる日蓮宗の古刹。
応神天皇、神功皇后、平将門、源義家などの兜を祀ったという伝説のある神社。
戦後から市川市八幡の地を拠点に日本映画の黄金期に多くの作品を残した脚本家水木洋子さんの家。
市川を縦横に流れる真間川は、桜の名所としても有名です。見の時期にはたくさんの人で賑わいます。
保存木に囲まれた歴史ある神明社と小栗判官ゆかりの銀杏とお不動様で知られる鬼越山神明寺。
JR本八幡駅からシャトルバスも出ている商業施設。博物館や図書館あり、一日中楽しめます。