室町時代の連歌師柴屋軒宗長の東路の津登ゆかりの散歩道
室町時代の
連歌師柴屋軒宗長の紀行文「
東路のつと」の中に、中山・下総・散歩道でご紹介している名所を描いています。
宗長は日蓮宗の霊跡寺院清澄寺に行く旅路の往路では、隅田川を川船で下り、葦の茂った湿地帯を進み今井の津で上陸し浄興寺で一泊します。翌日は当時太日川と呼ばれていたた渡良瀬川の下流域を遡り、真間の入り江で真間の継ぎ橋を渡り、中山にある法華経寺を訪れました。帰路は、市川の渡しを渡り、善養寺に宿をとり焼いた豆腐を肴に酒を楽しんだ様子が描かれています。宗長の東路のつとには、江戸川沿岸の江戸川区や市川市の当時の様子が描かれています。そして浄興寺では「富士の嶺は遠からぬ雪の千里かな」、法華経寺では「杉の葉や嵐の後の夜半の雪」の発句を残しました。
このページでは、連歌師柴屋軒宗長の紀行文「東路のつと」に登場する名所をご案内いたします。室町時代の様子を思い浮かべながら、地域の歴史と文化財を堪能できる散歩道です。
連歌師 宗長
文安5年(1448)〜享禄5年3月6日(1532)
室町時代の連歌師。駿河国島田(静岡県島田市)の鍛冶職の子。幼名長六。初め宗歓と称し、長阿・柴屋軒と号した。 若くして宗祇の門に入り、40年変わりなく仕え、旅行にも多く同行した。
宗祇と、肖柏とともに賦した。「水無瀬三吟百韻」は特に有名。宗祇の越後旅行に際し、駿河から出向いて病床を訪れ、同行して箱根における死に会い、「宗祇終焉記」(1502)を書いた。後に駿河国丸子の柴屋軒に隠棲、関西や東国、北国を旅行し、「東路のつと」(1509)、75歳から80歳まで書き継いだ「宗長手記」、「宗長日記」(1530〜31)を残した。
大徳寺の一休和尚に参禅したことがあり、軽妙洒脱で、俳諧、狂歌もたしなんだ。 ほかに「雨夜記」(1519)「連歌比況集」、句集「壁草」(1512)「那智籠」(1517)、「老耳」(1522〜26)などがある
。
参考
ブリタニカ国際大百科事典
デジタル大辞林
連歌師宗長の東路のつとゆかり観光名所
隅田川から川船で葦原を進み下総最初の地が今井の津です。
宗長は、富士の嶺は遠からぬ雪の千里かな、の発句を残しています。
多くの短歌に詠われた名所。宗長も真間の継ぎ橋を渡りました。
宗長は、杉の葉や嵐の後の夜半の雪、の発句を残しています。
国指定重要文化財の法華堂は宗長が訪れた頃から残る建物。
宗長の房総の旅の帰り道、市川の渡しを渡った様子が描かれています。
房総の旅の帰路、宗長は善養寺で豆腐を肴に酒を楽しんでいます。
連歌師宗長の東路のつとゆかり観光名所の所在地
今井の渡し旧跡 |
東京都江戸川区江戸川3丁目江戸川土手付近 |
瀧亀山清泰院浄興寺 |
東京都江戸川区江戸川3-22-5 |
真間の継橋 |
千葉県市川市真間4-7-24 |
正中山法華経寺 |
千葉県市川市中山2-10-1 |
法華経寺法華堂 |
千葉県市川市中山2-10-1 法華経寺境内 |
市川関所跡 |
千葉県市川市市川3-24付近の江戸川土手上 |
星住山地蔵院善養寺 |
東京都江戸川区東小岩2-24-2 |