中山法華経寺法華堂と本阿弥光悦筆の扁額
中山法華経寺の法華堂は祖師堂の西、小高い丘の上、四足門の内側に立つお堂です。正中山法華経寺誌や江戸名所図会では、銭四貫文で建てられたので四貫堂とも呼ばれているとして紹介されている法華経寺境内で最も古い建築物の一つです。葛飾誌略によると、建長6年(1359)春に建築とのことです。正中山法華経寺誌では、法華堂は、日常上人が日蓮聖人に帰依した際に、若宮館内に建立した建物であり、百日説法も行われた霊蹟と紹介しています。法華堂には、本阿弥光悦筆「妙法花経堂」の扁額が掲げられています。そしてまた、法華堂の周囲にはツツジが植えられ、春の青空の元、ピンクに染まった法華堂はとても美しい。
法華経寺法華堂
国指定重要文化財 法華経寺法華堂
大正五年五月二十四日指定
建築年代 室町時代後期
築造形式 桁行五間、梁間四間、一重、入母屋造、銅板葺、附棟札 五枚
法華堂は法華経寺の本堂で、釈迦・多宝両尊像を本尊としています。堂の創建は文永年間(十三世紀後半)に富木常忍が若宮の館に建立し、後にこの中山に移されたと伝えられ、銭四貫文で建てられたことから四貫堂とも呼ばれています。現在の法華堂の様式から室町時代後期に再建されたものと思われます。もとは祖師堂と同じ地盤に建っていましたが、江戸時代中期に行われた祖師堂の立替えに伴ってこの場所に移されました。
建物は桁行五間、梁間四間の小規模な五間堂で、屋根の銅板葺は江戸時代後期の改造によるもので建立当初は茅葺でした。内部は正面一見の柱間を大きくとった吹き放し外陣と一室の内陣からできています。柱や須弥壇(仏壇を安置する壇)の配置などからは、内陣の奥行きを大きく取ろうとした工夫が見られます。なお、外陣正面にある「妙法花経寺」の扁額(市指定重要文化財)は本阿弥光悦によって書かれたものです。
法華堂は禅宗様を基調としながら和様を巧みに取り入れた形式で、日蓮仏堂としては最古に属する重要な遺構です。
平成十一年三月市川市教育委員会
法華堂前の案内板より
本阿弥光悦筆扁額「妙法花経寺」
市指定文化財 本阿弥光悦筆法華堂扁額
本阿弥光悦(1558〜1637)
江戸初期の工芸家。京都の人。刀剣鑑定の名家に生まれ、徳川家康から京都北郊の鷹が峰の地を与えられた。
本業の刀剣鑑定のほか、書道では寛永三筆の一人。絵は海北友松に学び、土佐派を加味して後の俵屋宗達、尾形光琳にも影響を与え、蒔絵にも新技法を案出し、陶芸でもその茶碗は有名。能面彫刻、作庭にも優れ、茶道でも一家をなした。
※ 寛永の三筆 江戸初期の書道の名手。近衛信尹(三藐院)、本阿弥光悦、松花堂昭乗の3人。
法華堂とツツジ
法華堂と四足門、刹堂、宇賀神堂周辺は早春は梅、初夏にはツツジが楽しめます。
引用・抜粋および参考
法華経寺法華堂前案内板
市川市ホームページ
市川市立図書館ホームページ
正中山法華経寺誌
日蓮宗各本山名所図会
房総叢書 : 紀元二千六百年記念. 第8卷葛飾紀
房総叢書 : 紀元二千六百年記念. 第6卷葛飾誌略
新訂 江戸名所図会6 ちくま学芸文庫
大辞林
日本世界人名辞典
新制版 日本史辞典
ブリタニカ国際大百科事典
ウィッキペディア
国指定重要文化財 法華経寺法華堂の交通案内と所在地
国指定重要文化財 法華経寺法華堂の最寄り駅と住所
- JR総武線下総中山駅下車 徒歩8分
- 京成線京成中山駅下車 徒歩5分
- 千葉県市川市中山2−10−1 正中山法華経寺境内
日蓮宗大本山 正中山法華経寺 境内と周辺の観光名所ご案内
本院の奥に鬼子母神堂があります。日蓮大聖人御親刻の鬼子母神像を安置されています。。怨魔退散、子育ての守護神として崇められています。
法華経寺の春は満開の桜に彩られます。夏は龍王池の蓮の花、秋は泣き公孫樹。大荒行入行会、大荒行成満会、節分会など季節ごとに趣があります。 また、春と秋には境内で骨董市も開かれます。
比翼入母屋造りのお堂。中老日法上人の作の日蓮聖人像が安置されています。両脇には当山歴代6祖の御像を奉安いたします。正面の大額「祖師堂」は本阿弥光悦筆。
江戸時代前期元和5年(1622)18世正教院日慈上人代に本阿弥光室の本願により、加賀(石川県)前田公の寄進により建立されました。三間四面銅板葺。
法華堂(国指定重要文化財)
鎌倉時代文応元年(1260)創建。日蓮聖人自ら一尊四菩薩を開眼安置。百日百座説法の霊跡。
切妻造檜皮葺、約七百年前鎌倉愛染堂に在ったものを移築して法華堂の正門に立てたもの。
建築家伊東忠太氏の設計。法華経寺の寺宝を保管している。11月のお風入れの際には、その一部を公開しています。
清正公大神祇とは、戦国武将で大壇越の加藤清正公没後、神仏の化身として信仰するようになったのだそうです。
三大荒行で知られる日蓮大聖人直授の秘伝、大荒行が行われる 11月1日より2月10日までの百日間、この建物で行われます。
三門・赤門とも呼呼ばれています。広壮な建物。扁額「正中山」は桃山から江戸時代に活躍した本阿弥光悦筆によります。
十羅刹女・鬼子母尊神・大黒様を安置し、罪障消滅の霊場として、参詣者が終日、太鼓の音を響かせている。甲子の日は特別祈祷が厳修される。
総門とも呼ばれています。古風にして雄大、太田資順筆の如来滅後、閻浮提内、本化菩薩、初転法輪、法華道場の額を揚げてあります。
日蓮聖人開眼の八大龍王を祠る御堂。雨乞の霊験ありと伝えられています。近年は商売繁盛の守護神として参詣者が後を絶ちません。
法華経寺の守護の宇賀徳正神の本社であり、財福の神として広く知られている。この裏手に清正公堂や太田稲荷が祀られている。
千葉家伝来の北辰妙見尊星を第3代日祐上人が正法護持国土安穏除災招福の守護神として奉安する。11月には酉の市も行われます。
奥之院は日蓮聖人がはじめて説法をした地とされています。また、法華経寺第一世貫主、日常聖人が法華寺を建立した地です。
享保4年(1719)法華経寺59世日禅上人代に鋳造され身丈1丈6尺台座2間半、鋳像では千葉県一を誇る大きさである。
中山法華経寺第一世貫主日常聖人の銅像です。奥之院にもあります。そして日常聖人と息子の日頂上人ゆかりの泣き公孫樹。
法華経寺には重要文化財以外にも、鏡池跡、龍閑橋、宝殿門、鐘楼堂、そしてその周りには季節ごとに咲く花々があります。
安土桃山から江戸初期にかけて活躍した芸術家本阿弥光悦のほか、連歌師宗長、明治の詩人正岡子規ほか法華経寺を訪れています。
中山法華経寺は奥之院や遠寿院、中山四院家などたくさんの素敵な塔頭が建てられています。
法華経寺の周辺には、塔頭寺院ほか東山魁夷記念館などがあり、歴史と文化を楽しめる散歩道です。
中山法華経寺は桜のお花見の名所として、桜の季節にはたくさんの参拝客で賑わいます。