中山法華経寺の五重塔は国指定重要文化財
日蓮宗大本山正中山法華経寺の仁王門をぐぐり、山門を進むと木々の間からまず見えるのが中山法華経寺のシンボル五重塔です。 戦国大名加賀前田家の寄進により江戸初期に建てられた
法華経寺の五重塔は国指定の重要文化財でもあります。春はたくさんの桜の花々に飾られ多くの参拝客を魅了します。秋には公孫樹と背を比べるように荘厳な競演を見せてくれます。
国指定重要文化財 法華経寺五重塔
国指定重要文化財 法華経寺五重塔
大正五年五月二十四日指定
建築年代江戸時代元和八年(1622)
構造形式三間五重塔婆瓦棒銅板葺
この五重塔は本阿弥光室が両親の菩提を弔うために、加賀藩主前田利光公の援助を受けて建立したものです。塔の総高は九八尺(約三十m)で近世の五重塔としては標準的な規模となり、東京都大田区池上にある本門寺の五重塔(重要文化財)や台東区上野の寛永寺五重塔(重要文化財)とほぼ同じですが、他のものと比較すると軒の出が少ないので細長い感じを受けます。
建築様式は和様を主体として造られていますが、最上重のみは禅宗様になっています。これは明治四十五年に半解体修理が施された際に変更されたものとみられます。また、初重の正面は両開きの桟唐戸、両脇には窓枠に等間隔の格子をはめ込んだ連子窓を取り付けた伝統的な形式を守っています。
塔の内部には中心に芯柱、その外側には四天柱と呼ばれる四本の柱を立て、さらに禅宗様須弥壇(仏像を安置する壇)を置き、木造釈迦如来・多宝如来坐像(県指定文化財)をまつっています。四天柱をはじめとして内部は極彩色や朱漆で塗られ荘厳にされています。
昭和五十五年に修理が行われて外部に弁柄塗りが施されてました。
平成十一年三月 市川市教育委員会
法華経寺五重塔前案内板より
正中山法華経寺誌によると、文和8年(1359)、日慈上人の創立とあり、江戸名所図会によれば、十八世日慈上人の像も安置されていると記されています。もしかすると現在の法華経寺五重塔以前に、五重塔が建てられていたのかもしれません。
引用・抜粋および参考
法華経寺五重塔前案内板
市川市ホームページ
正中山法華経寺誌
日蓮宗各本山名所図会
ちくま学芸文庫 新訂 江戸名所図会6
ウィッキペディア
春、桜と法華経寺の五重塔
春、満開の桜の季節には、たくさんの参拝客で賑わいます。
五重塔の下のさざれ石
国家に詠まれているさざれ石。(五重塔の下のさざれ石)
この石は学名を石灰質角礫岩と云う。
石灰岩が雨水に溶解してその石灰分を含んだ水が時には粘着力の強い乳状体となって地下にわいて小石を集結して次第に大きくなる。やがてそれが地上に出て国家によまれている如く千代八千代年をへてさざれ石巌となりて苔むすと云う景観。実に目出度い石である。
この石は国歌発祥の地と云はれる岐阜県揖斐郡春日村の山中にあったものでその集結の過程状態がこの石を一見してよく知ることが出来る。
右の文章は昭和二十七年文部省の中庭に贈呈された「さざれ石」の木札に記されたものと同文であり、国歌に詠まれているさざれ石については岐阜県揖斐川村出身の故小林宗一(号宗閑)氏によって発見解明されました。
法華経寺五重塔下木製立札より
国指定重要文化財 法華経寺五重塔の交通案内と所在地
国指定重要文化財 法華経寺五重塔の最寄り駅と住所
- JR総武線下総中山駅下車 徒歩7分
- 京成線京成中山駅下車 徒歩4分
- 千葉県市川市中山2−10−1 正中山法華経寺境内
日蓮宗大本山 正中山法華経寺 境内と周辺の観光名所ご案内
本院の奥に鬼子母神堂があります。日蓮大聖人御親刻の鬼子母神像を安置されています。。怨魔退散、子育ての守護神として崇められています。
法華経寺の春は満開の桜に彩られます。夏は龍王池の蓮の花、秋は泣き公孫樹。大荒行入行会、大荒行成満会、節分会など季節ごとに趣があります。 また、春と秋には境内で骨董市も開かれます。
比翼入母屋造りのお堂。中老日法上人の作の日蓮聖人像が安置されています。両脇には当山歴代6祖の御像を奉安いたします。正面の大額「祖師堂」は本阿弥光悦筆。
五重塔(国指定重要文化財)
江戸時代前期元和5年(1622)18世正教院日慈上人代に本阿弥光室の本願により、加賀(石川県)前田公の寄進により建立されました。三間四面銅板葺。
鎌倉時代文応元年(1260)創建。日蓮聖人自ら一尊四菩薩を開眼安置。百日百座説法の霊跡。
切妻造檜皮葺、約七百年前鎌倉愛染堂に在ったものを移築して法華堂の正門に立てたもの。
建築家伊東忠太氏の設計。法華経寺の寺宝を保管している。11月のお風入れの際には、その一部を公開しています。
清正公大神祇とは、戦国武将で大壇越の加藤清正公没後、神仏の化身として信仰するようになったのだそうです。
三大荒行で知られる日蓮大聖人直授の秘伝、大荒行が行われる 11月1日より2月10日までの百日間、この建物で行われます。
三門・赤門とも呼呼ばれています。広壮な建物。扁額「正中山」は桃山から江戸時代に活躍した本阿弥光悦筆によります。
十羅刹女・鬼子母尊神・大黒様を安置し、罪障消滅の霊場として、参詣者が終日、太鼓の音を響かせている。甲子の日は特別祈祷が厳修される。
総門とも呼ばれています。古風にして雄大、太田資順筆の如来滅後、閻浮提内、本化菩薩、初転法輪、法華道場の額を揚げてあります。
日蓮聖人開眼の八大龍王を祠る御堂。雨乞の霊験ありと伝えられています。近年は商売繁盛の守護神として参詣者が後を絶ちません。
法華経寺の守護の宇賀徳正神の本社であり、財福の神として広く知られている。この裏手に清正公堂や太田稲荷が祀られている。
千葉家伝来の北辰妙見尊星を第3代日祐上人が正法護持国土安穏除災招福の守護神として奉安する。11月には酉の市も行われます。
奥之院は日蓮聖人がはじめて説法をした地とされています。また、法華経寺第一世貫主、日常聖人が法華寺を建立した地です。
享保4年(1719)法華経寺59世日禅上人代に鋳造され身丈1丈6尺台座2間半、鋳像では千葉県一を誇る大きさである。
中山法華経寺第一世貫主日常聖人の銅像です。奥之院にもあります。そして日常聖人と息子の日頂上人ゆかりの泣き銀杏。
法華経寺には重要文化財以外にも、鏡池跡、龍閑橋、宝殿門、鐘楼堂、そしてその周りには季節ごとに咲く花々があります。
安土桃山から江戸初期にかけて活躍した芸術家本阿弥光悦のほか、連歌師宗長、明治の詩人正岡子規ほか法華経寺を訪れています。
中山法華経寺は奥之院や遠寿院、中山四院家などたくさんの素敵な塔頭が建てられています。
法華経寺の周辺には、塔頭寺院ほか東山魁夷記念館などがあり、歴史と文化を楽しめる散歩道です。
中山法華経寺は桜のお花見の名所として、桜の季節にはたくさんの参拝客で賑わいます。