意冨比神社|船橋大神宮、夕日皇大神宮と呼ばれる関東一の宮
意冨日神社は船橋大神宮として知られる船橋市の中心商店街に鎮座する古社。葛飾記には
夕日皇大神宮とあります。船橋駅前から続くたくさんの商店や会社のならぶ大通りの突き当り、成田街道と上総街道の分かれ道に建つ荘厳な佇まいの神社。日本武尊が東征の際に建てたとも伝えられ、源義家、義朝、実朝をはじめ、徳川家康、日蓮上人など多くの人々に崇拝された神社。元々は少し西にある
入日神社の地にあったそうです。御祭神に、天照大神・豊受大神・八幡大神・春日明神をお祀りする関東一の宮の称号もある神社です。本殿の奥には色鮮やかな社殿の常盤神社や灯明台もあります。意冨比神社境内は広く静かで、都会の雑踏からはなれ、古代から近代までの歴史や文化を楽しめる素敵な神社です。
船橋大神宮(意富比神社)由緒
船橋大神宮(意富比神社)由緒
景行天皇の御代40年に皇子日本武尊が東国御平定の途次此の地に到らせられ、伊勢皇大神宮の御分霊を奉斎なされ、同53年に天皇御東行の砌、日本武尊の御事蹟を御追憾意富比神社の称号を賜る。
後冷泉天皇御代天喜年間には、源義家、頼義両朝臣当宮を修造せられ、亦、仁平元年には船橋六郷の地にご寄附の院宣を賜り、源義朝之を奉じて当宮を再興、其の文書には船橋伊勢皇大神宮とある。
日蓮上人は宗旨の興隆発展成就の為当宮にて断食祈願を行い、徳川家康公は社領を寄せられ奉行をして本殿、諸末社を御造営せしめ、近く明治天皇陛下には習志野、三里塚へ御行幸の都度、勅使を以て幣帛料を御奉奠遊ばされる。
現在の御社殿は維新の戦火に罹災後、明治7年に本殿、同22年に拝殿が竣工し以後、大正12年、昭和38年、同50年に各々社殿、末社、鳥居、玉垣等に至る迄の大改修或いは御神泉の奉納、灯明台(県民俗資料指定)の修復等を経ている。
昭和56年10月20日
宮司 誌
意冨比神社拝殿脇石碑より
出典・抜粋・引用および参考
意冨比神社拝殿脇石碑
意冨比神社参道脇石碑
江戸名所図会6 ちくま学芸文庫
下総式社考
葛飾誌略
葛飾記
船橋大神宮(意富比神社)の最寄り駅と住所
- 京成本線「大神宮下」より徒歩1分
- JR総武線・東武野田線「船橋駅」より徒歩13分
- 千葉県船橋市宮本5−2−1
船橋大神宮周辺の観光名所のご案内
意富比神社(船橋大神宮)
日本武尊の勧請と伝わる、夕日皇大神宮とも呼ばれる関東一の宮。
東照宮とも呼ばれ江戸時代から深い信仰を集めた御社。
船橋大神宮境内にある天守閣のように聳える灯台。
日本で一番小さな東照宮として知られる小さな神社。
本尊は行基菩薩作と伝えられている鎌倉時代創建の古刹。
江戸名所図会のラストを飾るほど風光明媚だった御社 。
船橋の地名につながる、市民の憩いの桜の名所。
日本武尊が上陸した地とされる地に建てられた神社。