船橋東照宮|徳川家康の宿船橋御殿跡に建つ日本一小さな東照宮
日本一小さい東照宮として知られる
船橋東照宮は、徳川家康が東金に鷹狩に行く際の宿泊所として建てた
船橋御殿と呼ばれた建物の跡地に建てられた、本当に小さな御社です。社殿は徳川家の家紋、三つ葉葵の御紋の幕で飾られています。徳川家康は、江戸城を出て小名木川、新川、古川を通り今井の渡し辺りで行徳に上陸し、権現道や成田道を通ってこの地で休み、翌日上総に向かって出かけたそうです。ここが、御成り街道の出発点といえるのかもしれません。賑やかな船橋の駅前に程近い住宅街の中にある小さな東照宮。毎日通る人でも見落としてしまうほど、小さな小さな東照宮。でも、三つ葉葵の御紋を見ると、なんとも誇らしくなります。船橋御殿跡船橋東照宮は、江戸開闢の頃の、徳川家康の壮大な行列が船橋を練り歩く光景を思い浮かべることのできる、歴史を楽しめる散歩道です。
船橋御殿跡船橋東照宮
「船橋御殿跡東照宮」
1615年(元和2年)徳川家康は、家来と共に上総土気、東金で狩猟を行った際ここに宿泊した。当時の面積は約400アール余(12,000坪余)で海老川西側の土手に囲まれた地であった。のちにこの地は船橋御殿と呼ばれることとなった。
船橋東照宮社殿前石板より
市指定文化財(史跡) 船橋御殿跡と東照宮
1965年(昭和40年)3月17日指定
徳川家康は狩猟を好み、各地に狩猟用の「お茶屋」又は「御殿」とよばれる休憩所や宿泊所を建てさせた。慶長19年(1614)家康は上総土気、東金で狩猟を行ったが、船橋御殿の建造もその頃であろうと推定される。家康は元和元年(1615)11月ここに宿泊した。家康の宿泊はこの一回だけであったが、秀忠はその後狩猟のたびに立ち寄ったと考えられる。将軍家の東金狩猟が寛永7年(1630)頃に終止した後も船橋御殿は存続していたが、寛文末年頃(1670年代)に廃止となったようである。船橋御殿の面積は約404アールで、海老川西側の土手に囲まれた地域であった。その後、この地は大神宮宮司の富氏に与えられ、開墾されては畑地となった。
東照宮は富氏が建立したもので、この場所が御殿の中心であった場所であると伝えられている。
1992年3月
船橋市教育委員会。
船橋東照宮前案内板より
出典・抜粋・引用および参考
船橋東照宮社殿前石板
船橋東照宮前前案内板
船橋東照宮の最寄り駅と住所
- 京成本線「京成船橋駅」より徒歩6分
- JR総武線・東武野田線「船橋駅」より徒歩8分
- 千葉県船橋市本町4−29−12
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徳川家康の宿泊所として建てられた船橋御殿跡に建てられた日本で一番小さな東照宮。
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