善養寺境内の散歩道|名横綱栃錦の横綱もある名刹
星住山地蔵院善養寺は、国指定天然記念物の黒松「
影向の松」で知られる江戸川区の名刹。江戸川区とゆかり深く、江戸川区出身の
第44代横綱栃錦関ともゆかりが深く、栃錦関の像と横綱が仁王門に奉納されています。また、境内では子供相撲も開かれていた歴史があり、その土俵の砂は現在「
横綱山」となっています。びんずる尊者像の安置されている本堂と不動堂、
新四国遍路道、天明3年浅間山噴火横死者供養碑などたくさんの見どころのある寺院です。秋には境内で
菊花展も開催されています。
善養寺仁王門|大横綱栃錦像と横綱の納められた山門
善養寺仁王門
江戸川河畔南向き、黒松の並木道の参道の奥に星住山地蔵院善養寺の朱塗りの仁王門があります。仁王門の奥には国指定天然記念物の黒松「影向の松」が臨め、門の赤と松の緑が見事に調和しています。そして仁王門の裏側には、江戸川区出身の名横綱栃錦関の横綱と像が納めれれています。
横綱山
昭和55年9月7日、この庭で行われた子供相撲大会に、小岩出身の名横綱、栃錦関(春日野理事長)が一門の、栃赤城、舛田山、栃光らの関取衆をつれて参加されました。
それから平成2年まで春日野さんは毎年9月の大会にお出になり後輩達を励まして下さいました。
この山は、その土俵の土で作った山です。郷土の先輩大横綱のはげましに応えて頑張りましよう。
上がって下りて又のぼり
足腰きたえて 元気な子
子供相撲主催団体 入谷友交会
山上からの松の眺めは、素敵です。
善養寺横綱山前案内板より
天明3年浅間山噴火横死者供養碑
天明3年浅間山噴火横死者供養碑
東京都指定有形文化財 昭和48年7月18日指定
江戸川区登録有形文化財 昭和56年1月13日登録
天明3年(1783)7月、浅間山(長野県)の大噴火がありました。関東一帯に火山灰が降り、山麓では山津波がおこり多くの人家が押し流されました。多数の犠牲者の遺体が利根川や江戸川を流れ下り、この付近の中洲にも流れつきました。地元の下小岩村の人々は、遺体を収容し、手あつく寺内の無縁墓地に埋葬しました。寛政7年(1795)の7月に13回忌をいとなみ、この供養碑を建て、その霊を弔いました。
この供養碑は、昭和30年ごろから行方不明になっていましたが、47年に寺内で発見され、ここに再建されました。
平成24年3月
江戸川区教育委員会
天明3年浅間山噴火横死者供養碑脇案内板より
星住山地蔵院善養寺の本堂と不動堂
善養寺本堂と不動堂
善養寺の本堂は南向き、不動堂は西を向き、仁王門から入ると本堂へ、不動門の正面には不動堂が見えるように善養寺の境内は配置されています。本堂には、にはびんずる尊者像が安置されています。そして、不動堂は「小岩不動尊」と呼ばれる由縁となるお堂です。
新四国遍路道|四国八十八ヶ所霊場を善養寺の中でで廻れる遍路道
新四国遍路道
善養寺仁王門の左、新四国遍路道の案内板の奥にたくさんの石仏の並ぶ小径があります。新四国遍路道です。石仏はそれぞれの霊場をあらわしています。
仁王門を入ってすぐ、影向の松との間に小さな牡丹園があります。春の陽のように大輪で色とりどりの花をたくさん咲かせます。
影向の菊
毎年10月中旬から11月中旬まで善養寺で菊花展が開かれています。影向の松にちなみ影向の菊という菊花展です。影向の松を借景に美しく咲く菊を堪能できます。
出典・抜粋・引用および参考
善養寺仁王門前案内板
善養寺影向の松前案内板
善養寺横綱山前案内板
天明3年浅間山噴火横死者供養碑脇案内板
江戸川区ホームページ
紀元二千六百年記念. 第6卷 地誌其一 葛飾誌略
ウィッキペデイァ
星住山地蔵院善養寺境内のご案内
善養寺境内の散歩道
星住山地蔵院善養寺への交通案内と所在地
星住山地蔵院善養寺の最寄り駅と住所
- 京成本線「江戸川駅」徒歩15分
- JR総武線「小岩駅」より徒歩18分
- 東京都江戸川区東小岩2-24−2
星住山地蔵院善養寺の観光名所 ご案内
東京と千葉の境を流れる江戸川。河川敷は流域にすむ人々の散歩道。江戸時代は水運の大動脈でした。
東京を東から一望できる展望施設。富士山と東京スカイツリーを眺める最高のビュースポット。
北原白秋旧宅、弘法大師伝説のある羅漢の井、夜泣き石ほか四季折々の表情を見せる素敵な散歩道。
江戸時代、徳川幕府より10万石の大名と同等の格式を認められていた曹洞宗の寺院。
国指定天然記念物「影向の松」で有名な室町時代創建の古刹。
姫宮と茶室「登龍庵」のある梅と紅葉の名所である自然豊かな公園。
高い評価受けた現代建築の本堂と石庭と竹林、カフェもある名刹。
野菊の墓の舞台と第二次国府台合戦の激戦地でもある野菊苑と西蓮寺。