関東武士の英雄 平将門公をお祀りする駒形大神社
駒形大神社は千葉県市川市大野町の殿台と呼ばれる地域にある伝統文化をあ守る神社です。また、坂東武者の英雄平将門公ゆかりの伝説の残る地域で大切に守られている神社です。市川のむかし話によると、ある晩、殿台の丘の上にある
法蓮寺の和尚の前に3人の騎馬武者が現れ、彼らを神様のお使いとしてお祀りすると、守護神となって村を守ると言い東の方に去っていったそうです。翌朝和尚は馬の蹄の跡をみつけたどり雑木林にたどり着き、村人に話したところ、平将門公に間違いないとして、小さな祠を作り大切にお祀りしていたのが、駒形大神社の縁起譚として伝わっています。
現在でも市川市や大野町の人々は将門公びいきで、将門公討伐を祈願して建てられた成田山新勝寺には行かない、将門公を射った弓は南天で作られていたと言われているので南天の木は庭に植えない、将門公は桔梗という女に騙されたため打たれたので桔梗は植えない、駒形大神社の御神体は白馬なので、白馬は恐れ多いので飼わないなど、今でも平将門公を慕ってこれらのタブーを守っている人も多いそうです。
駒形大神社は殿台の人々が古くから大切に守っている神社です。この神社には「にらめっこおびしゃ」という伝統文化も継承されています。
また、境内には鎌倉五郎景政公を祀る御霊神社と学問の神様菅原道真公を祀る殿台天満宮も合祀されています。
駒形大神社は、平将門公、鎌倉五郎景政公、菅原道真公をお祀りする文武両道に目指す人にピッタリの、殿台の歴史と文化を伝える素晴らしい寺院です。
駒形大神社
駒形大神社と御奉謝
駒形大神社は経津主神を主神に、大野の伝説として残っている。平将門を合祀した神社です。
この、駒形大神社には、古くから五穀豊穣と村内安全を祈願する御奉謝の行事が伝えられています。かつては1月19日、当番宿に集まった氏子たちによって、神社に飾る注連縄がつくられ、次に三臼の餅がつかれました。
最初の一臼は供物の下に敷く、経五寸(15cm)ばかりの煎餅をつくり、二臼目は烏帽子兜・擬宝珠型兜・皿頭型兜の型をした供物をつくります。三臼目の餅は集まった氏子たちが、互いに投げあう餅ぶつけに使います。餅に当たるとその歳の厄を払うといい、またこの餅は、風除けに効き目があるともいわれています。これで一日目の行事は終わりです。
二十日は前日用意した供物・注連縄・酒肴等を捧げて神社に参拝、太鼓を打ち鳴らして題目を唱え、終わって御神酒を頂き、当番宿に引きあげます。このあと、宿では二組に分かれて行事役を中央に、両組から一人ずつ出て向い合い、互いににらみ合って行司役の合図をまち酒を呑みあいます。このとき笑った方が負けとなり、さらに大盃につがれた酒を呑むことになります。こうした行事のあるところから、俗に「にらめっこおびしゃ」の異名がつけられています。
これらの行事は安政6年(1859)の記録を、明治11年(1878)に書き写したものによって踏襲されてきましたが、太平洋戦争後は1月20日の一日で、総ての行事を済ませるように改められ、毎年、神社の社務所で行われています。この行事は昭和40年、市の民族文化財に指定されています。
平成16年9月
市川市教育委員会
駒形大神社参道脇案内板より
御霊神社
御霊神社
祭神 鎌倉権五郎景政公
例祭日 11月23日
由緒
元禄年間、本光寺勧請の印あり。もとは殿台(大野4丁目)の西部に鎮座。明治41年、当境内に遷座。平成10年、氏子中現在の地に社を造営し遷座する(一説には『平将門公』を祀るともいわれる)。
影政公は、桓武天皇の末裔、平氏の一門で鎌倉党の頭領。16歳にして源義家公に従い、後三年の役に出陣。戦闘中、右目に矢を射こまれ、その矢を抜かずして、射てきた敵将を『答の矢』(敵に射返す矢)で、倒したという豪傑。更に、この矢を抜こうとした三浦平太為次公が、靴を履いたまま顔を踏みつけたので「弓矢に当たって死するは武士の本望、なのに土足をもって面部を踏むとはなにごとぞ」と叱咤。為次公は無礼をわびて、膝で押さえ抜いたと言う。人々これを見聞し、景政公の功名いよいよ高し・・・と『奥州後三年記』にある。
世に伝わる御霊信仰とは違い、景政公と言う英雄豪傑の武勇と廉恥の心を慕い、合わせて除災招福を願う人々の心が、この地に御霊神社を創設させたものである。
願わくば、英雄の御霊、永久にこの地に鎮まって、
我らを守り導き給わらんことを。
御霊神社前案内板より
殿台天満宮
殿台天満宮由緒
当宮は菅原道真公をお祀りした社で江戸中期氏子中が当町に奉斎したのが発祥と伝えられ、爾来大柏町の天神様と称えられ学神としての信仰を集め今日に至っている。
時恰も昭和から平成への御世替り、当宮への尊崇が益々昂まると共に、新しい御社の御造営が氏子中から叫ばれ、御大典奉祝事業の一つとしてその遂行が役員によって決議されました。
平成2年秋、全国天満宮の総本社である京都北野天満宮より新たに御分霊をお迎えし、新天皇の大嘗祭斎行に合わせ同年11月23日新しい、流れ造りの御社に御鎮座されました。
宮司 筥崎博生謹誌
殿台天満宮前案内板より
引用、抜粋並びに参考
駒形大神社参道前案内板
御霊神社前案内板
殿台天満宮案内板
市川市ホームページ
改訂新版市川のむかし話
駒形大神社の最寄り駅と住所
- JR武蔵野線「市川大野駅」から徒歩18分
- 千葉県市川市大野町4-2757
駒形大神社近くの観光名所 ご案内
大町を貫いて走る国道464号線と大野周辺にはたくさんの梨園と梨の直売所があります。
水辺の遊歩道から自然を学べ、バラ園や紅葉山でゆったりと自然の美を楽しめる公園です。
駒形大神社
坂東武者の英雄平将門公をお祀りし、市の民族文化財「にらめっこおびしゃ」を継承する歴史ある神社。
日蓮聖人の大檀越曽谷教信開山の古刹。駒形大神社創建にまつわる平将門公の伝説も伝わっています。
関東武士の英雄平将門公が京都北野天満宮から勧請したと伝えられる歴史ある天満宮。
「乳無し二王像」で知られる日蓮宗の古刹。市川七福神毘沙門天の寺院でもあります。
子宝の神様で知られる「牛頭天王」をお祀りするお堂のある、緑豊かな歴史ある美しい古刹。
市川七福神の大黒天の寺院。日蓮聖人の直弟子で曽谷一族の日宝上人建立の古刹。
日蓮聖人大檀越太田乗明と日高上人ゆか りある日胤上人創建の650年の歴史ある古刹。
万葉集などの和歌に登場する四季折々の植物を集めてつくられた美しい和風の庭園。
白鳥ほかたくさんの水鳥の訪れる貯水池の周りにつくられた公園。桜の名所としても知られています。
市川市内を縦断する、豊かな自然と歴史、文化に触れることのできる素敵な散歩道。
七経塚伝説で知られる桜の霊場として知られる寺院。市川七福神の寿老人と福禄寿をお祀りしています。
常盤井姫による創建伝説と、奉免という地名の由来を伝える、日蓮宗最初の尼寺。