光胤山本光寺|大野天満宮と出世弁財天のある古刹
光胤山本光寺は「梨の里」大野町に建つ650年の歴史ある古刹です。日蓮聖人の大檀越太田乗明や
中山法華経寺第二世管主日高上人とゆかり深い日胤上人建立の寺院。境内には本堂、平将門公が勧請したと伝えられている
大野天満宮、
出世弁財天、三重の塔(慈愛之塔)、きずな之湧水のほか、たくさんの見どころのある素敵な寺院です。
光胤山本光寺
本光寺縁起
日胤上人は正平16年(1361年)4月28日に中山より当村(御門)を閑居の地として堂宇を創立、同年5月に中山法華経寺より寺号許可を得同年(南朝は正平16年・北朝は康安元年)11月17日に遷化されたと言われています。
日胤上人は、中山法華経寺二世日高上人(太田乗明の子息)の俗甥で日蓮聖人の教えをひろめ、信者を強化育成し、立証安国の聖業に精進されたと言われています。
一説に、当寺は山号を光胤山と称するが、原豊前入道光胤の名前から採ったものであり光胤は一方で豊前坊なる坊を営んでおり、この坊が当寺の前身であったとも言われています。
光胤は原胤親の子息。通称は孫次郎、官途は豊前守、のち入道として豊前入道、法号は荘覚院。
寛正7年(1466年)2月7日、吉川(埼玉県吉川市)での戦いで討死しました。
2月6日に没したとも言われています。
文化13年(1816年)に第23世日理上人が堂宇を再建しました。
第34世日住上人が昭和42年(1967年)に本堂、同46年(1971年)に客殿を再建し現在に至っています。
光胤山本光寺本堂前案内より
大野天満宮
大野天満宮
この天満宮の起りについては、関東の覇者として君臨した平将門公が、天慶元年(938)京都の北野天満宮を、この地に勧請したものであると伝えられています。それは、学問の神様である菅原道真公の像を描いた掛軸に
「抑天満宮者 人王61代 朱雀天皇御宇 天慶元年ニ 平親王将門公 皇都天満宮 下總大野ニ移ス 高祖大士御開眼 近號鎮守祖社 別當光胤山本光寺」
との由来を記したものが残されているからです。
こうしたことから、この掛軸の菅原道真公は、高祖大士御開眼、つまり日蓮聖人が開眼入魂したと伝えられ、また信仰されてきたのです。
現在、市川市に残る2番目に古い小学校、大柏小学校が本光寺近くにあります。大柏小学校の歴史については、明治7年(1874)に大台小学校として本光寺に開校されました。大野天満宮の大利益を考えれば、本光寺に小学校が開校されたのも不思議ではありません。
三大利益
一、学業成就
二、合格成就
三、就職成就
幼稚園、小学校、中学受験、高校受験、大学受験、資格試験、国家資格、就職試験
大野天満宮は境内地にあります。
ご自由にご祈願ください。
本光寺
光胤山本光寺大野天満宮脇案内板より
引用、抜粋並びに参考
光胤山本光寺本堂前石碑
光胤山本光寺大野天満宮脇案内板
市川市ホームページ
光胤山本光寺の最寄り駅と住所
- 千葉県市川市大野町3-1695-1
- JR武蔵野線「市川大野駅」から徒歩3分
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