奉免山安楽寺は常盤井姫ゆかりの日蓮宗初の尼寺
奉免山安楽寺は常盤井姫が創建したという伝説が伝えられる日蓮宗最初の尼寺。そのため寺院の本殿には菊の御紋があります。創建は鎌倉時代、日蓮聖人が中山の地を訪れた頃。常盤井姫のお世話をするため、この地の年貢は鎌倉幕府から免ぜられ、そのため地名は奉免となったそうです。しずかな地にある美しいお寺です。
奉免山安楽寺と常盤井姫伝説
常盤井姫伝説
中山法華経寺の北に奉免という地域があります。ここに奉免山安楽寺はあります。
むかし、鎌倉の頃は海がもっと陸に入り込んでおり、手児奈伝説で有名な真間の入り江も市川市内深くまで広がっていたそうです。そのような地に、美しい着物をつけた二人の女性が流れ着いたそうです。
一人は若く、もう一人はこの若い女性の供の者のようでした。
若い女性は薄い布で顔を隠していましたが、その美しい黒髪から身分の高い女性だと、人々は思ったそうです。
その後二人は近くに居を構えたそうです。(宮久保坂上の所願寺縁起には、若干時代が異なりますが所願寺とあります)
しばらくして二人の噂が広がり、鎌倉幕府の役人が調べたところ、この女性は後深草天皇の皇女常盤井宮内親王であることがわかりました。常盤井姫は病を患い、お顔にひどいできものができてしまい、それを苦に、京の都の宮中からひっそりと姿を消したのでした。そして小舟に乗り流されて、下総のこの地に流れ着いたのだそうです。
幕府の役人は村人に、常盤井姫をお助けするようにと命じ、その代わりに年貢を免除したそうです。
そこで、この地域を「奉免」年貢を免じる地と呼ばれるようになったそうです。
さて、同じ頃、若宮の小さな庵(中山奥之院)に日蓮聖人がお住まいになり、百日説法をなさいました。常盤井姫もこの説法を聞きに若宮に行き日蓮聖人にお会いしたところ、聖人は姫様に病気治癒の妙符をお渡ししました。
妙符の霊験は高く、常盤井姫の病は日毎に良くなり、元の美しい姿に戻られたそうです。
そして後に、常盤井姫は仏様のご加護を感謝し、美しい黒髪を剃り、日国と名乗り、奉免の地にお寺を建てました。これが日蓮宗で最初の尼寺、奉免山安楽寺です。
出典・抜粋・引用および参考
改訂新版市川のむかし話
如意山所願寺本堂前案内板
市川市ホームページ
ウィッキペディア
奉免山安楽寺への交通案内と所在地
- JR武蔵野線「船橋法典駅」または「市川大野駅」より徒歩22分
- 所在地:千葉県市川市奉免町127
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奉免山安楽寺
常盤井姫に創建と、奉免の地名の由来を伝える、日蓮宗最初の尼寺。
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