行徳街道の歴史的建物群|頼朝伝説の残る笹屋うどん店他
江戸川より一本入った行徳街道沿いには、江戸、明治に建てられた建物がいくつも点在しています。行徳は製塩と水運で栄え、また神輿造りも盛んでした。いまでも神輿造りの伝統を繋いでいる神輿店もあり、全国から注文があるそうです。また、近世行徳でもっとも有名な名物、
笹屋のうどん。葛飾誌略では「旅人の立寄らざるはなし」と紹介され、頼朝伝説があり、十辺舎一九も紹介している、江戸時代人気の笹屋うどん跡、
国登録有形文化財浅子神輿店跡、塩問屋加藤邸、元行徳町長宅の田中邸など旧家や倉などが点在しています。
笹屋うどん跡
笹屋うどん跡
本行徳の笹屋は、江戸時代うどん屋として繁盛した店で、新河岸近くに位置していたため立ち寄る旅人も多く、紀行文などを残す。
市川市教育委員会
笹屋うどん跡案内板より
笹屋うどん
江戸時代、陸路で来てもここに寄らない人はいなかったと言われるほど繁盛したうどん店。東海道中膝栗毛で有名な十辺舎一九も立ち寄っている江戸時代人気のうどん店。当時の行徳名物に「笹屋うどん」と「中山こんにゃく」がありました。
笹屋うどんは江戸から明治にかけて、広く京浜地方にまでしられた行徳の名物です。笹屋の屋号については、源頼朝が源氏の家紋にちなんで名づけたという伝説もあります。「快晴の時をえらんで干し、味はすばらしくよく、実に長くてほめ賞すること限りなし」とまで宣伝されました。また川柳には「音のない滝は笹屋の門にあり」「さあ船がでますとうどんやへ知らせ」「行徳を下る小舟に干しうどん」などとあり、当時の旅人が船を待つ間に笹屋でひと休みし、土産に干しうどんを持ち帰る姿が生き生きと感じれます。
石橋山の合戦に敗れた源頼朝が安房に逃れる途中、行徳に流されうどんを食べたという伝説が残っています。そしてそのことを描いた屏風も残されています。安政元年(1854)に建てたという店笹屋うどん跡は今も行徳街道に残っています。屏風と太田蜀山人が書いたというケヤキの大看板看板は歴史博物館に展示されています。
そして、「中山こんにゃく」は中山の法華経寺周辺で売られたものですが、その製造元が行徳で、1丁目から街道筋にかけて「中山こんにゃく処」の看板を軒並に出して製造していたようです。
抜粋・引用および参考
笹屋うどん跡案内板より
市川市ホームページ
改訂新版市川のむかし話
江戸名所図会6 ちくま学芸文庫
房総叢書 紀元二千六百年記念 第6卷葛飾誌略
国登録有形文化財 旧浅子神輿店店舗兼母屋
国登録有形文化財 旧浅子神輿店店舗兼母屋
近世中期から近代にかけて製塩と舟運で栄えた本行徳において、神輿造りは一つの地場産業でした。この中にあって、室町時代末期に初代浅子周慶が創業したとされる浅子神輿店は独特な神輿造りで広く受け入れられた老舗でした。
昭和4年に上棟した店舗は、木太く豪快な正面の造り、粋を凝らした二階南側の窓縁や庇屋根の造り、また、露盤(ろばん)鳳凰の立体的な躍動感のある造り、屋根の反転曲線や幹反りを古式にした優雅さなどが特徴です。
行徳の歴史を語る上で貴重な歴史的構造物を保存・活用するために、市川市が取得し、平成22年には国登録有形文化財として登録されました。
所在地 市川市本行徳35−7(住居表示)
構造形式 店舗 木造二階建、切妻造、桟瓦葺、東面前庇付属、西面居住棟接続
居住棟 木造平屋建、寄棟造、桟瓦葺、南面庇及び玄関付、北面庇付
建築面積 137.84u(一階部分と二階部分の合計)
市川市
旧浅子神輿店店舗兼母屋前案内板より
抜粋・引用および参考
旧浅子神輿店店舗兼母屋前案内板より
文化の街かど回遊マップ 行徳・妙典地区編より
市川市ホームページ
旧浅子神輿店店舗兼母屋跡
千葉県市川市本行徳35−7
笹屋うどん跡
千葉県市川市本行徳36−17
東京メトロ東西線「妙典駅・行徳駅」より徒歩20分(行徳街道沿い)
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