水奏山圓明院|行徳浦安三十三所観音札所第23番札所
東京メトロ東西線行徳駅から江戸川方向、行徳街道沿いに、
行徳浦安三十三所観音札所にふさわしい素敵なお寺があります。
水奏山圓明院です。
参道と本堂を結ぶちょうど真ん中に建つ圓明院の山門のある、とても調和のとれた風格があるお寺らしいお寺です。江戸名所図会には、弁財天祠があると書かれています。子供達の無病息災と交通安全を祈る子育て地蔵と多くの人の幸せを祈る六地蔵の安置されている、素敵なお寺、水奏山圓明院は行徳浦安三十三所観音札所の23番札所です。
真言宗豊山派水奏山圓明院
水奏山圓明院 由来・いわれ
永禄3年(1560)眞言僧侶覺巖和尚によって創建された伝えられております。
再度の火災や津波被害などにより、境内のほとんどの建物が失われましたが、山門と半鐘のみ現存しております。
山門は元文3年(1738)に建立されましたが、平成4年に大改修修繕工事のため、解体修理を行いました。行徳地区において年代の明確な建造物では最古のものであります。
半鐘は天命8年(1788)に宥海和尚により造られたもので、当時の地名「下総國本湊村」、當山の名称「水奏密山圓明教院」と銘記されております。
現在の本堂は、昭和56年に再建されました。
水奏山圓明院 歳時・みどころ
山門左手にある弁財天は、年代作者は不明ですが、古い江戸地図には「葛飾3弁天・本湊村弁財天」と記されております。
本堂手前左手にある行徳子育て地蔵尊は、當山18世、現在の住職が子供達の無病息災、交通安全などを祈願し、昭和52年(1977)に建立したものです。
山門右手にある六地蔵尊は、當山の筆頭総代矢島伝一氏が参拝なさる皆様に幸せが多く戴けるように願われて、平成11年(1999)に建立されたものです。
水奏山圓明院門前案内板より
水奏山圓明院山門
圓明院山門
當山は山号を「水奏山」、寺号を「圓明院」と称し、永禄3年(1560)覺嚴和尚によって創建され、爾来430余年に亘り法燈連綿として現在に至る。当山門は「元文3年6月建立」「明治中期茅葺き屋根を瓦葺き屋根に葺替え」と古文書に書き残されており、その後百数年が過ぎ、垂木から上の屋根全体の不朽が著しく、平成3年早春より、総代、世話人会に於いて検討、協議し、建築専門家にも調査依頼の結果、この儘では腐敗倒壊する事眼前にあり、本年は「興教大師850年御遠忌」の正當年にあたり記念事業として解体大改修膳工事に着工する事に決定、建設委員会発足、浄財帳に満ち、社寺建築業「翠雲堂」に依頼、本年5月着工す。
解体時、市川市教育委員会と文化財建築物保存技術協会の立会いのもと調査、研究、記録が実施され、山門の沿革、特徴が明らかとなる。
山門は江戸時代中期の元文3年6月(1738)当時の住職「覺榮坊」により建立、大工は武州幸手の住人で小島庄左衛門、岡忠八、利助で、建物の特徴として四脚門形式、総欅造り、漆塗りの本格的な建造物で、絵模様、彫刻等もその時代の流行の先端を行き、かつ大工名が判明した貴重なものであり、当時の社寺大工の動向と技量が良くあれわれている。行徳地域では、時代の明確な建物として「最も古い山門」であることが判明す。
工事期間7ヶ月を以て大改修膳工事無魔修了す。
平成4年12月10日
當山18世住職 合掌
山門大改修膳建設委員会
水奏山圓明院門前案内板より
(一部割愛)
水奏山圓明院弁財天
圓明院弁財天
この弁財天は江戸青山(港区青山)の梅窓院の唯然和尚が霊夢の御告げにより、享保3年(1718)に旧江戸川の潮除堤際の弁天山にお祀りしました。後に、圓明院の境内に遷したと葛飾記に記されています。御祭神は、安芸厳島神社とも江の島の弁財天の御祭神を勧請したとも伝えれているいるそうです。
また、圓明院門前の案内板によると、山門左手にある弁財天は、年代作者は不明ですが、古い江戸地図には「葛飾3弁天・本湊村弁財天」と記されております。
抜粋・引用および参考
水奏山圓明院門前案内板
水奏山圓明院山門脇案内板
市川市ホームページ
江戸名所図会6 ちくま学芸文庫
房総叢書 紀元二千六百年記念 第8卷葛飾紀
房総叢書 紀元二千六百年記念 第6卷葛飾誌略
水奏山圓明院
千葉県市川市湊11-21
東京メトロ東西線「行徳駅」より徒歩5分
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