八幡の藪知らず|国語辞典にも登場する有名な入ってはいけない森
八幡の藪知らず(やわたのやぶしらず)、または
八幡不知森(やわたしらずのもり)と呼ばれている竹林は、JR総武線本八幡駅またや京成本線京成八幡駅から国道14号線千葉街道を東に5分、市川市役所の斜向かい駅前商店街の一等地に、垣に囲まれた小さな竹藪のことです。なんでこんなところに竹藪がと思うような不自然な小さな森ですが、この竹藪が市川市で最も有名な観光名所の一つなのです。八幡の藪知らずは「入ってはいけない森」「入ったら出ることのできない」森というミステリアスなスポットとして江戸時代から有名でした。八幡の藪知らずは、江戸名所図会、葛飾記、葛飾誌略など江戸時代の観光ガイドとよべる本で紹介された有名な観光名所?でした。大正時代の古い写真には、観光客のためでしょうか、八幡の藪知らずの前に茶店のある様子が映っていす。「入ったらどうなるのだろう?」「入った人はいるの?」など想像を掻き立てられます。その答えとしては、水戸黄門が藪知らずに迷い込んだという話もあり、また、旅人が虻の力を借りて藪知らずに生えている竹の数を数えて褒美をもらったという民話も伝わっています。また、八幡の藪知らずは、
法華経寺や
真間の継ぎ橋、
手児奈と同様に国語大辞典「大辞林」に名所として掲載されているだけでなく、言葉としても掲載され、多くの文学作品にも「出口がわからないこと」等の意味の言葉として使われています。八幡の藪知らずは国語辞典にも登場する有名な入ってはいけない森です。 ほんとうに小さな八幡の森、八幡の藪知らずはもしかしたら全国的に有名な観光名所なのかもしれません。
八幡の藪知らず
八幡の藪知らず
八幡の藪知らすは、市川市の市役所の斜向かいに、「不知森神社」と書かれた額を掲げた鳥居と小さな祠に護られた竹藪のことです。額に書かれた「不知森神社」をはじめ、「八幡の不知藪」または「不知八幡森・八幡不知森(やわたしらずのもり)」など、江戸名所図会や葛飾記、葛飾誌略などそれぞれで記しています。いずれにしろ入ってはいけないと伝える「不入の森」です。いつからあるのか、いつから「八幡の藪知らず」と呼ばれるようになったのか、詳しい資料はありません。それだけに様々な伝説や伝承が生まれ、人々の好機を呼んだのでしょう。「人あやまちてこのうち入る時は必ず神の祟りありとてこれをいましむ」と、江戸名所図会、葛飾誌略、葛飾記等の江戸時代のガイドブックでも紹介され、江戸時代中期には「やわたのやぶしらず」と呼ばれるようになり、日本中に知られるようになったようです。当時も今と同じ程度の広さでありましたが、「鬱蒼として森の中はよく見えなかった」と書かれています。その上名所に相応しく、茶店も出ていたようです。さて、これらの江戸時代の紀行文等に「
はいってはいけない理由」がいくつか紹介されていす。現在では広辞苑や大辞林などの国語大辞典にも「八幡の不知藪」は「出口がわからないこと」等の意味の言葉として項目があり、夏目漱石、芥川龍之介、江戸川乱歩、三島由紀夫も「八幡の藪しらず」という言葉を作品の中に使っています。また、
伊藤佐千夫、泉鏡花、内田康夫、江戸川乱歩、
高浜虚子、
永井荷風、夏目漱石は名所としての「八幡の藪しらず」が作品の中に登場します。
八幡の藪知らずに入った人の記録はありませんが、伝説として水戸黄門が入ったと伝えれています。それによると、水戸黄門は八門遁甲の陣についての話を聞き、この森に関心を持ち、後に八幡の地を訪れ八幡の藪知らずに入り、本当に迷ってしまったそうです。市川のむかし話によると、白髪の老人が現れ水戸黄門を諭して出口を示してくれたそうです。
今では高層マンションが立ち並ぶJR本八幡駅周辺に、貴重な緑を残してくれる大切な森。八幡の藪知らずの森は
葛飾八幡宮の御社宝。葛飾八幡宮の御縁起には国指定保有林「不知八幡森」とあり、様々な言い伝えだけでなく、市川市の一等地にあるこの緑豊かな小さな森として八幡の藪知らずは大切に保存されています。
なお、八幡の藪知らず、一夜公孫樹(
千本公孫樹)、馬蹄石(
頼朝公駒どめの石)の三つを合わせて八幡三不思議と呼んだそうです。
不思議な言伝えのある名所のページには、「八幡の藪知らず」のほか、「
夜泣き石」「
涙石」など不思議な言伝えや物語の残る名所をご紹介しています。こちらもご確認ください。
八幡の藪知らずに入ってはいけない理由の一覧
- 1.日本武尊が陣所として八陣をしいた跡だから入ってはいけない。
- 2.葛飾八幡宮を最初に勧請した神聖な土地だから入っていけない。
- 3.平将門が朝廷軍と戦ったとき、将門軍の鬼門に当たった場所が不知森だった。
- 4.平将門平定の折、平貞盛が八門遁甲の陣を敷いたが、平定後もここにだけ将門軍の死門の一角を残したので、この地に入ると必ず祟りがある。
- 5.尊い人を葬った場所だから入れない。(平良将墓所説、平将門墓所説)
- 6.平将門の近臣が、主人の首級を慕いこの地で守り土偶人となった。その後雷雨により失われたそうです。そのため、この地に入ると必ず祟りがある。
- 7.平将門の影人形がここに埋められている。
- 8.この地が行徳の入会地であり、八幡の住民はみだりに入ることが許されず、そのため「八幡知らず」と言われた。
抜粋および参考
市川市ホームページ
葛飾八幡宮内御由緒書
市川市図書館ホームページ
江戸名所図会6 ちくま学芸文庫
房総叢書 紀元二千六百年記念 第8卷葛飾紀
房総叢書 紀元二千六百年記念 第6卷葛飾誌略
改訂新版 市川のむかし話
ウィッキペディア
八幡の藪知らずの最寄り駅と住所
- JR総武線・都営地下鉄新宿線「本八幡駅」徒歩3分
- 京成本線「京成八幡駅」徒歩5分
- 千葉県市川市八幡2−8
八幡の藪知らず近くの観光名所 ご案内
平安時代創建の八幡様。多くの関東武士や文学者に信仰された神社。
八幡の藪不知(不知八幡森)
様々な伝説に彩られ、江戸の昔から知られた市川市の隠れた名所。
源頼朝公の伝説のある白幡神社。参道の桜並木は、下から眺めても、上から見ても壮観。
幸田露伴文学碑、永井荷風記念碑、勝海舟揮毫の社額、太田道灌と源頼朝ゆかりの古社。
長寿ふじと呼ばれる樹齢200年を超える藤の木で有名な古刹。ふじ祭りの時には参拝者で賑わいます。
菅野の住宅街にひっそりとたたずむ平将門とその将兵を生涯弔った菅野氏夫妻を祀る祠。
千葉寺の妙見菩薩像と同木で作られた妙見菩薩像を祀ることで知られる日蓮宗の古刹。
応神天皇、神功皇后、平将門、源義家などの兜を祀ったという伝説のある神社。
戦後から市川市八幡の地を拠点に日本映画の黄金期に多くの作品を残した脚本家水木洋子さんの家。
市川を縦横に流れる真間川は、桜の名所としても有名です。見の時期にはたくさんの人で賑わいます。
保存木に囲まれた歴史ある神明社と小栗判官ゆかりの銀杏とお不動様で知られる鬼越山神明寺。
JR本八幡駅からシャトルバスも出ている商業施設。博物館や図書館あり、一日中楽しめます。