脚本家 水木洋子の家
千本公孫樹で知られる
八幡の八幡様と桜の名所
真間川の間の閑静な住宅街に
脚本家水木洋子の家はあります。市川市の木、黒松の並木の残る美しい街並みにとけこんだ、青々と茂る生垣に囲まれた昔ながらの日本の家屋、それが魅力でもある脚本家水木洋子の家。戦後、知人の勧めで移り住んだ八幡の地で多くの素晴らしい作品を生んだ家。日本映画の黄金期を支えた水木洋子さんが生涯の多くを過ごした家です。
春は、真間川でお花見と、秋は、八幡様で千本公孫樹の紅葉と、合わせて脚本家水木洋子の家を見学してはいかがですか?
水木洋子の暮らした家
脚本家水木洋子さんの暮らした家
脚本家水木洋子さんが、母親とともに八幡に移り住んだのは、戦後間もない昭和22年(1947)のことです。父親と同郷で仕事関係の知り合いを頼っての転居でした。
始めはこの知人の家に間借りしての生活でしたが、すぐに道を挟んだ向かいに空家に転居しました。そしてその借家を買い取り、敷地を買い足し敷地は250坪にもなりました。また、建物も数回にわたる増改築を重ねながら、今の数奇屋風の建物になっていきました。
水木洋子さんが住んでいた八幡は松並木に囲まれた閑静な屋敷街。そんな市川市八幡の地が、水木さんの生涯を通じてのシナリオ創作の場となったのです。水木洋子さんの脚本による「純愛物語(1957
年 今井正監督)」では、葛飾八 幡宮と同参道脇にの旧図書館付近で撮影も行われました。
平成8年(1996)水木洋子さんより「市には大変お世話になっている。老後もお世話になるので、財産を市に寄附したい」と、所有財産の寄付の申し出がありました。平成15年(2003)4月8日に水木洋子さんは亡くなりましたが、水木さんの申し出の通り水木さんの活動拠点だった住宅は市川市に寄贈されました。
参考並びに引用・抜粋
市川市ホームページ
市川市立図書館ホームページ
図書館だよりNo.37 市川市中央図書館発行
脚本家 水木洋子
水木洋子 (明治43年8月25日〜平成15年4月8日 1910−2003)
昭和から平成にかけて活躍した東京京橋生まれの脚本家。日本女子国文科卒業。本名は高木富子。
劇作家を志し、菊池寛主宰の脚本研究会に参加。また、学生時代からロシア語を師事していた八住利雄から、映画のシナリオを書くことをすすめられ、ラジオドラマや映画に進出し、昭和23年(1948)『映画春秋』6月号に初の脚本である亀井文夫監督「女の一生」を発表。そして昭和25年(1950)発表の今井正監督の「また逢う日まで」を出世作につぎつぎ映画の脚本を発表。巨匠と呼ばれる監督と多くの仕事をし、戦後の日本映画の黄金期に多くの名作を残し、日本の映画文化の発展に大きな功績を遺してる。
昭和28年(1953)第1回菊池寛賞受賞、昭和56年(1981)紫綬褒章受章、昭和62年(1987)勲四等宝冠章受章。市川市名誉市民。
平成15年(2003)4月8日、老衰のため市川市内の病院で逝去。享年92歳。自宅や原稿などは戦後から住み慣れた市川市に寄贈された。
代表作に「ひめゆりの塔」「キクとイサム」「浮雲」「裸の大将」など。
参考並びに引用・抜粋
市川市ホームページ
市川市立図書館ホームページ
図書館だよりNo.37 市川市中央図書館発行
デジタル版 日本人名大辞典
日本大百科全書(ニッポニカ)
ウィッキペディア
脚本家 水木洋子の家の最寄り駅と住所
- JR総武線・都営新宿線「本八幡駅」、京成本線「京成八幡駅」より徒歩10分
- 京成本線「鬼越駅」より徒歩10分
- 千葉県市川市八幡5−17−3
脚本家 水木洋子の家近くの観光名所 ご案内
平安時代創建の八幡様。多くの関東武士や文学者に信仰された神社。
様々な伝説に彩られ、江戸の昔から知られた市川市の隠れた名所。
源頼朝公の伝説のある白幡神社。参道の桜並木は、下から眺めても、上から見ても壮観。
幸田露伴文学碑、永井荷風記念碑、勝海舟揮毫の社額、太田道灌と源頼朝ゆかりの古社。
長寿ふじと呼ばれる樹齢200年を超える藤の木で有名な古刹。ふじ祭りの時には参拝者で賑わいます。
菅野の住宅街にひっそりとたたずむ平将門とその将兵を生涯弔った菅野氏夫妻を祀る祠。
千葉寺の妙見菩薩像と同木で作られた妙見菩薩像を祀ることで知られる日蓮宗の古刹。
応神天皇、神功皇后、平将門、源義家などの兜を祀ったという伝説のある神社。
脚本家 水木洋子の家
戦後から市川市八幡の地を拠点に日本映画の黄金期に多くの作品を残した脚本家水木洋子さんの家。
市川を縦横に流れる真間川は、桜の名所としても有名です。見の時期にはたくさんの人で賑わいます。
保存木に囲まれた歴史ある神明社と小栗判官ゆかりの銀杏とお不動様で知られる鬼越山神明寺。
JR本八幡駅からシャトルバスも出ている商業施設。博物館や図書館あり、一日中楽しめます。