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市立市川歴史博物館と市立市川考古博物館と堀之内貝塚

龍経山妙正寺門前龍経山妙正寺本堂
市川市考古博物館と歴史博物館は、国史跡堀之内貝塚と同じ敷地に建てられた市川の歴史を原始から紹介する施設です。市川市の歴史は古く、堀之内貝塚をはじめ、姥山貝塚鬼高遺跡など市内にあります。また、古代には下総国の国府が置かれた市川市。万葉集には真間の手児奈がうたわれ、行基菩薩、弘法大師の伝説の残る寺院、平将門の城跡、源頼朝が陣所跡の社、日蓮聖人が初めて説法した寺、小栗判官が馬を留めた寺、太田道灌が建てた城跡や茶室跡、北条と里見が戦った国府台の古戦場、徳川家康が鷹狩に通った道の跡、宮本武蔵が達磨の絵を描き残した寺、水戸黄門がや迷ったやぶしらずなど、歴史上の超有名人の伝説と史実が混在する市川市。貝塚も多く、古代の遺物も多数発掘されています。考古博物館は原始から古代まで、歴史博物館は鎌倉からの市川や下総の歴史や文化が展示されています。
市川市博物館入口の桜並木桜と市川市歴史博物館
市川博物館駐車場の桜市川博物館附近の桜

市川市歴史博物館

市川市歴史博物館

市川市歴史博物館は、鎌倉時代以降の市川の歴史や文化を紹介する博物館です。
鎌倉時代には鎌倉から難を逃れた日蓮が滞在し、江戸時代には徳川家康が行徳の塩産業を保護し、そして行徳を通り(権現道)東金に鷹狩に行きました。
歴史博物館には展示室は4つあり、第1室は「中世以降の市川」、第2室は「海辺の人々の生活」、第3室は「水路と陸路」、第4室は「台地の人々の生活」。

市川市考古博物館

市川市考古博物館

市川市考古博物館は、市川市内の遺跡から出土した考古資料や情報を収集、保管、展示する考古博物館です。市川市には、姥山・曽谷・堀之内という縄文時代の貝塚や下総国国分僧寺国分尼寺跡が史跡として保護され、鬼高遺跡や須和田遺跡など縄文時代から平安時代にかけての重要な遺跡もあります。
市川市考古博物館は、5つの展示室にわかれ、原始から古い順に展示されています。前室 には「環境の変化」を示す木下貝層、沼サンゴ、コククジラの化石などが展示されています。第1室「最初の住民(先土器時代)」には古人類の胸像、石器など、第2室「貝塚の形成(縄文時代)」には 貝層、縄文土器、石器、土偶など、第3室「農耕の開始(弥生時代)」再葬墓、甕棺、金印、土器など、第4室「古墳の出現(古墳時代)」には法皇塚古墳の模型と副葬品など、第5室「律令の時代(奈良・平安時代)」には下総国府関連遺跡、下総国分僧寺跡、下総国分尼寺跡出土の瓦や墨書土器など の貴重な資料が展示されています。

堀之内貝塚

国史跡堀之内貝塚案内板国史跡堀之内貝塚の風景

国史跡 堀之内貝塚


指定 昭和39年7月6日
   昭和42年6月22日(追加)
   昭和47年2月3日(追加)
指定面積 26,789.85平方メートル

堀之内貝塚は、千葉県北部に広がる下総台地の西南端にあり、縄文時代後期前半から晩期中ごろまで(約3800〜2500年前)の、この地域の中心集落でした。堀之内というのは、東にある古くからの集落の呼び名で、ここの場所のかつての地名は、国分村駒形でした。現在の住居表示は、市川市堀之内2丁目15番です。
遺跡は、南を道めき谷津、北を千艘谷津という谷にはさまれた、細い尾根上の台地にあります。貝塚の規模は、外形で東西約225m、南北約120mです。貝殻の散布は、南北の両斜面と、西は台地上に乗りますが、西端の一部は通路のように途切れています。全体としてU字形をなす斜面の馬蹄形貝塚です。
堀之内貝塚は、千葉県でも東京に最も近い大型の貝塚であること、林なので耕作のじゃまにならず発掘できたため、早くから多くの考古学研究者や愛好家がおとずれています。
記録では、明治16年(1883)が初出ですが、堀之内貝塚の名を有名にしたのは、明治37年(1904)の東京人類学第一回遠足会の会場に選ばれ、その成果が各専門家により学会誌に報告されたことによります。
その後、大正6年(1917)と大正10年に収集された土器に違いのあることに気づいた山内清男(すがお)氏は、昭和15年(1940)に、この資料を基準に堀之内1式土器を提唱しました。
その後も、昭和29年(1954)の日本人類学会から委託された早稲田・慶應義塾・明治大学による発掘と地形測量、昭和38年の明治大学による、最後となったB地点の発掘まで、実に多くの発掘がくりかえしおこなわれました。
貝は、イボキサゴという小さくて丸い巻貝が一番多く、ハマグリが次に多くなっています。ともに砂質干潟でとれる貝です。晩期では、ハマグリに次いでオキシジミが多くなります。泥の多い海岸になったと想定されます。魚では内湾のクロダイが多く、このほか東京湾でとれる各種の魚も捕獲されていました。かわったものではコウイカの多いことが特色です。これは甲羅のあるイカなのでわかったことです。陸獣では、イノシシとシカが主な食料となっていました。はじめはイノシシの方が多く、次第にシカが多くなります。しかし、主食は遺物として残らない植物と考えられます。
発掘は部分的なものなので、全容は不明です。住居跡は台地の上から斜面にかけて、人骨は斜面部から発見されています。南の道めき谷津には、崖くずれで流れた遺物と、木の実をアクぬきする木組み施設が発見されています。水くみ場、舟着場と丸木舟も埋もれていることでしょう。数キロ離れた海へは、舟で往来していたと想像されます。
平成19年3月 市川市教育委員会


堀之内貝塚案内板より


出典・抜粋・引用および参考
市川市ホームページ
千葉県博物館協会ホームページ
堀之内貝塚案内板より

市川市考古博物館と市川市歴史博物館への交通案内と所在地

市川市考古博物館と市川市歴史博物館と堀之内貝塚の最寄り駅と住所

  • 北総開発鉄道「北国分駅」より徒歩11分
  • 市川市歴史博物館:千葉県市川市堀之内2-27-1
  • 市川市考古博物館:千葉県市川市堀之内2-26-1

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