金嶋山妙覚寺|旧江戸川の妙見島の妙見様をお祀りしている古刹
金嶋山妙覚寺は
一之江境川親水公園沿岸にある日蓮宗の古刹で、浦安橋の架かる旧江戸川の妙見島と呼ばれる中洲、置かれていた妙見さまをお祀りしていることで知られています。また妙覚寺の別院として
新中川の川辺に
第六天宮もあります。新編武蔵風土記稿には、「同末金島山等覺院と号す。弘安7年(1284)千葉氏建立と云う。過去帳千葉家代々をしるせし内に等覚阿闍梨と云う者あり。是開基の人なるべし。開山日全は千葉介宗胤の子頼胤の弟にて本山三世日祐の弟子なり。康永3年5月25日寂す。本尊釈迦又本堂の内に日蓮の像あり坐像にて長一尺余、裏に法華堂刻彫日朗と記す。日本三体の祖師といへり。妙見堂。貞治元年(1362)の勧請と言う。此の妙見は千葉代々尊崇の像にて古利根川の中なる妙見島と云う所に安置せしがその後小松川村に移し又当村に移すという。」と記され、
中山法華経寺の末寺で、鎌倉時代から戦国時代にかけて下総国を支配していた千葉氏と深い縁のあることがうかがえます。妙覚寺の境内中央には、千葉氏が深く信仰していた妙見様をお祀りする妙見堂が置かれ、本堂脇には日蓮聖人像が建つ、松と芝の緑美しい寺院です。なお、参道脇の案内板によると「御神体は当山に安置されたと寺伝にありますが、現存しておりません。」と記されています。
妙覚寺
妙覚寺
日蓮宗で、金嶋山妙覚寺等覚院と号します。開山は等覚院阿闍梨日全で、弘安7年(1284)の創建と伝えています。日全は中山法華経寺二世日高の弟子とも、三世日祐の弟子とも伝えています。のちに身延の日進に師事し、「法華問答正義抄」の著述があります。
日蓮聖人木造座像は、日蓮の高弟である日朗の作と伝えられます。
■紙本墨書大曼荼羅(二幅)
曼荼羅は、もともと諸尊の悟りの世界を表現したものといわれ、一定の方式に従って多くの仏や菩薩の像を描いた図のことをいいますが、日蓮宗の曼荼羅は各尊を文字で書き表しています。応安元年(1368)と記された曼荼羅は、日祐の筆で、妙覚寺二世日典に授与されました。嘉暦2年(1327)のものは、妙覚寺開山日全の筆です。
平成2年3月
江戸川区教育委員会
金嶋山妙覚寺門脇案内板より
引用・抜粋ならび参考文献
大黒山常福寺門前案内板
新編武蔵風土記稿
妙覚寺史跡
一、金嶋山等覚院妙覚寺と称する
当山は、七百年の昔、弘安七年五月千葉介六祖頼胤公甥、少納言律師等覚院阿闍梨日全上人が開山しました。千林坊、正運房と云う塔頭があった日蓮宗の古刹であります。昭和四十二年四月篤信の檀家により奥庭に開山堂が建立されました。昭和五十七年五月には、宗祖日蓮大聖人七百遠忌、開山七百年を記念して檀信徒の寄進により、客殿、庫裡が完成しました。
一、第六天宮 所在地 江戸川区一之江三丁目ニ十七番二号
第六天宮は、妙覚寺の飛地境内地にあります。六百年ほど昔、応安元年八月十五日の夜当山第二祖日典上人が勧請しました。境内には、樹令五百年以上と云われる御神木”エノキ”があり、江戸川区天然記念物に指定されています。昭和六十一年十一月社殿を新築しました。(一部割愛)
一、妙見さまと星祭り
今は、妙見島という地名がのこっています。御神体は当山に安置されたと寺伝にありますが、現存しておりません。
妙見さまをあつく信仰する篤信の檀家により、当山の年中行事として行っている。妙見さまの星祭り”十二月二十二日冬至”に妙見堂を建立し寺伝の如く、妙見さまをお祀りしました。
昭和六十一年十二月吉日
金嶋山妙覚寺 第三十四世露木日真記す。
金嶋山妙覚寺参道脇案内板より
引用・抜粋ならび参考文献
金嶋山妙覚寺参道脇案内板
新編武蔵風土記稿
金嶋山妙覚寺の最寄り駅と住所
都営新宿線「一之江駅」より徒歩12分
東京都江戸川区一之江6−19−10
日蓮聖人像のある寺院
日蓮宗大本山法華経寺の門前の大きな日蓮聖人像が迎えてくれます。
茅葺屋根の山門の先、本堂の左前で日蓮聖人が迎えてくれます。
皮膚の病に霊験ある「しなび地蔵」で知られる 浦安の古刹。
二之江と呼ばれた江戸川区江戸川にある四季折々の花々の咲く古刹。
境内は整然と整備され、季節の花々をそっと楽しませてくれます。
金嶋山妙覚寺
旧江戸川中州に祀られていた妙見さまをお祀りする古刹。
江戸川区指定保存樹の黒松と文化財のある美しい寺院。
大黒山常福寺
少年時代の日蓮聖人像が迎えてくれる江戸川区上一色の寺院。
閑静な住宅街の中に建つ大きな日蓮聖人像のある寺院。
千葉寺の妙見菩薩と同木で作られた妙見菩薩をお祀りしている古刹。
日蓮聖人の直弟子で曽谷一族の日宝上人建立の古刹。
大檀越太田乗明と日高上人ゆか り日胤上人創建の650年の古刹。
七経塚伝説の残る桜の霊場 として知られる古刹。