高濱虚子著写生文集「中山寺」ゆかりの散歩道
高濱虚子の
写生文集「中山寺」には、明治31年(1897)秋の中山・八幡・市川の様子を伝えています。当時24歳の若い虚子は中山法華経寺に特に興味もない様子であり、「
子規子の日蓮好き」に影響されて促されたのか、下総の中山寺に行こうと考えて実行したようです。
4年ほど前の明治27年(1893)12月に開通した総武鉄道(現在の総武線)にのり、中山で降り、中山法華経寺を訪れました。
虚子は祖師堂に腰をおろし、物思いにふけっていたようです。「都市を離れて遠からず」と理想の家を考えているところで、法華経寺に来て考えているので、まるで中山の環境を褒めていたように感じることができます。
そして八幡のやぶしらずと千本公孫樹を見に葛飾八幡宮に立ち寄りました。当時八幡様の参道は公孫樹並木でなく松並木であり、また千本公孫樹は千本榎と思っていたと書かれていました。また、若い高浜虚子は市川で汽車を待つ時間を惜しみ、徒歩で帰路につきました。虚子は江戸川を利根川と呼んでいました。
このページでは、明治の俳人で小説家の
高浜虚子の「中山寺」に登場する中山法華経寺をはじめとする、中山・八幡・市川の名所ご紹介しています。高濱虚子の「中山寺」を読んでから歩くと、いつもと違った風景を見ることができます。
高濱虚子
明治7年2月22日(1874)〜昭和34年4月8日(1959)
俳人・小説家。本名は高浜清。正岡子規と同じ愛媛県松山生れ。
正岡子規に師事。「ホトトギス」を主宰。客観写生、定形と季語を尊重し、また俳句の理念は花鳥諷詠にあると主張し、俳句の普及と後輩の育成に努めた。写生文・小説もよくし、「鶏頭」「俳諧師」「柿二つ」などの創作がある。門下に飯田蛇笏、中村草田男、
水原秋櫻子、中村汀女なかむらていじょなどがいる。
句集「五百句」「虚子句集」のほか、小説「俳諧師」「柿二つ」もある。
昭和12年芸術院会員。昭和29年文化勲章受章。
定本高浜虚子全集第8巻写生文集1に高濱虚子が法華経寺を訪れた時の様子が描かれています。
引用・抜粋および参考
市川市ホームページ
市川市立図書館ホームページ
定本高浜虚子全集第8巻写生文集1「中山寺」 毎日新聞社
大辞林
日本世界人名辞典
新制版 日本史辞典
美術人名辞典
デジタル大辞泉
デジタル版 日本人名大辞典
ブリタニカ国際大百科事典
ウィッキペディア
高濱虚子の中山寺に登場する観光名所
高濱虚子の写生文集「中山寺」で紹介されている古刹。
高濱虚子は秋に訪れたようですが、現在は桜の名所として有名。
虚子が腰をおろして物思いにふけった国指定住文化財の祖師堂。
常修院と書かれた扁額は大荒行堂に掛けられています。
千本榎でなく「公孫樹」と紹介された葛飾八幡宮の千本公孫樹。
虚子が柿を買った市川駅にある東京が一望できる展望施設。
虚子は帰路は汽車に乗らず、江戸川は渡し舟で渡りました。