大本山 正中山法華経寺 大荒行堂
大本山 正中山法華経寺 大荒行堂
毎年11月1日から翌2月10日までの100日間、
中山法華経寺の大荒行堂に100人を超える僧侶が集まり、厳しい規則に従い、厳寒の季節に白木綿単衣又は法衣のみの着用で荒行をおこないます。これが
日蓮宗大荒行です。
11月1日の入行会と2月10日の満行会には荒行に参加した僧侶のご家族、檀家や支援者、地元の人々等多くの方々が、これから荒行に参加する僧侶への応援と無時荒行を成満したお祝いのために、
中山法華経寺を訪れます。入行会も成満会も共に荘厳な雰囲気の中執り行われますが、成満会のお出迎えはまだ夜も明けきらない早朝の寒い気候の中はじまりますので、荒行を成満した僧侶の皆様のご苦労をほんの僅かではありますが体感できる貴重な時間です。
以下は明治時代に書かれた正中山法華経寺誌に掲載されている第百十六世法華経寺貫主日運上人が大荒行について詠んだ句です。
おこなふは粥をすすりて水冠り法のためにはなにかいとはん
菰をしき粥をすすりて水冠り身におふつみを洗ひすすがむ
引用・抜粋および参考
正中山法華経寺誌
日蓮宗大荒行
大荒行は、毎年11月1日から翌年2月10日までの寒壱百日間、千葉県市川市の大本山正中山法華経寺の大荒行堂にて行われます。
大荒行には全国から多勢の僧侶が集まり、寒壱百日間に及ぶ修行は大荒行の名に恥じない厳しいものです。
日蓮宗の僧侶なら誰でも良いわけではなく、修法規程にのっとった僧侶のみが対象となります。修法について口伝を相承し、祈祷法の伝授を受けるため、たいへん厳しい苦修練行を行います。
荒行僧の一日は、早朝二時に起床し、朝三時、一番の水から午後十一時まで一日七回、寒水に身を清める「水行」と、「万巻の読経」「木剣相承」相伝書の「書写行」があり、朝夕二回、梅干し一個の白粥の食事の生活が続きます。
大荒行堂での生活は、まさに以下の言葉の通りです。 寒水自粥凡骨将死(カンスイビャクジュクボンコツショウシ) 理懺事悔聖胎自生(リザンジゲショウタイジショウ)
冷たい水を浴び、お粥を食べ、死ぬほどの厳しい修行を通じて罪を悔い改め、心から反省するならば、生まれ変わったように尊い身となる 2月10日の成満の日は、入行時に閉ざされた瑞門が、壱百日ぶりに開かれ、全国から集まった出迎えの大勢の檀信徒が早朝より修行僧の出行を待ち受けます。続いて祖師堂で「大荒行成満会」が行われ、再び檀信徒のもとで修行の成果が実践されます。
日蓮宗大荒行ホームページより
入行会
毎年11月1日は日蓮宗大荒行の入行会の日です。この日、全国から100人を超える僧侶が中山法華経寺に集まり厳寒の中100日の荒行を行います。当日は、親族や檀家の方々があつまり、荒行に入る僧侶を見送ります。僧侶の皆さんは、聖教殿左にある瑞門を通り大荒行堂へ入ります。
成満会
毎年2月10日は日蓮宗大荒行の成満の日です。この日、厳寒の中100日間の修行を満行された僧侶の皆さんが大荒行堂を後します。中山法華経寺境内には日の出前から、荒行を行った僧侶の家族や檀家の皆さんがたくさんの幟を立てお迎えします。
正中山法華経寺 大荒行堂の交通案内と所在地
正中山法華経寺 大荒行堂の最寄り駅と住所
- JR総武線下総中山駅下車 徒歩8分
- 京成線京成中山駅下車 徒歩5分
- 千葉県市川市中山2−10−1 正中山法華経寺境内
日蓮宗大本山 正中山法華経寺 境内と周辺の観光名所ご案内
本院の奥に鬼子母神堂があります。日蓮大聖人御親刻の鬼子母神像を安置されています。。怨魔退散、子育ての守護神として崇められています。
法華経寺の春は満開の桜に彩られます。夏は龍王池の蓮の花、秋は泣き公孫樹。大荒行入行会、大荒行成満会、節分会など季節ごとに趣があります。 また、春と秋には境内で骨董市も開かれます。
比翼入母屋造りのお堂。中老日法上人の作の日蓮聖人像が安置されています。両脇には当山歴代6祖の御像を奉安いたします。正面の大額「祖師堂」は本阿弥光悦筆。
江戸時代前期元和5年(1622)18世正教院日慈上人代に本阿弥光室の本願により、加賀(石川県)前田公の寄進により建立されました。三間四面銅板葺。
鎌倉時代文応元年(1260)創建。日蓮聖人自ら一尊四菩薩を開眼安置。百日百座説法の霊跡。
切妻造檜皮葺、約七百年前鎌倉愛染堂に在ったものを移築して法華堂の正門に立てたもの。
建築家伊東忠太氏の設計。法華経寺の寺宝を保管している。11月のお風入れの際には、その一部を公開しています。
清正公大神祇とは、戦国武将で大壇越の加藤清正公没後、神仏の化身として信仰するようになったのだそうです。
荒行堂
三大荒行で知られる日蓮大聖人直授の秘伝、大荒行が行われる 11月1日より2月10日までの百日間、この建物で行われます。
三門・赤門とも呼呼ばれています。広壮な建物。扁額「正中山」は桃山から江戸時代に活躍した本阿弥光悦筆によります。
十羅刹女・鬼子母尊神・大黒様を安置し、罪障消滅の霊場として、参詣者が終日、太鼓の音を響かせている。甲子の日は特別祈祷が厳修される。
総門とも呼ばれています。古風にして雄大、太田資順筆の如来滅後、閻浮提内、本化菩薩、初転法輪、法華道場の額を揚げてあります。
日蓮聖人開眼の八大龍王を祠る御堂。雨乞の霊験ありと伝えられています。近年は商売繁盛の守護神として参詣者が後を絶ちません。
法華経寺の守護の宇賀徳正神の本社であり、財福の神として広く知られている。この裏手に清正公堂や太田稲荷が祀られている。
千葉家伝来の北辰妙見尊星を第3代日祐上人が正法護持国土安穏除災招福の守護神として奉安する。11月には酉の市も行われます。
奥之院は日蓮聖人がはじめて説法をした地とされています。また、法華経寺第一世貫主、日常聖人が法華寺を建立した地です。
享保4年(1719)法華経寺59世日禅上人代に鋳造され身丈1丈6尺台座2間半、鋳像では千葉県一を誇る大きさである。
中山法華経寺第一世貫主日常聖人の銅像です。奥之院にもあります。そして日常聖人と息子の日頂上人ゆかりの泣き公孫樹。
法華経寺には重要文化財以外にも、鏡池跡、龍閑橋、宝殿門、鐘楼堂、そしてその周りには季節ごとに咲く花々があります。
安土桃山から江戸初期にかけて活躍した芸術家本阿弥光悦のほか、連歌師宗長、明治の詩人正岡子規ほか法華経寺を訪れています。
中山法華経寺は奥之院や遠寿院、中山四院家などたくさんの素敵な塔頭が建てられています。
法華経寺の周辺には、塔頭寺院ほか東山魁夷記念館などがあり、歴史と文化を楽しめる散歩道です。
中山法華経寺は桜のお花見の名所として、桜の季節にはたくさんの参拝客で賑わいます。