中山法華経寺祖師堂は桜につつまれた比翼入母屋造の大堂
中山法華経寺の参道を抜けると、目の前に五重塔と屋根がが二つあるような不思議な形の屋根を持つ大きなお堂が目に飛び込みます。
国指定重要文化財法華経寺祖師堂です。中山法華経寺境内で一番大きな建物です。この屋根は
比翼入母屋造と呼ばれる珍しい様式で、法華経寺の祖師堂の他、岡山県の国宝吉備津神社本殿の二つが現存しているそうです。春は多くの桜の花々に美しく彩られます。祖師堂の正面中央に掲げられた扁額は、本阿弥光悦の筆によります。中山法華経寺の祖師堂は、明治の文人高濱虚子の「中山寺」にも登場します。また、祖師堂正面右に、日蓮聖人も利用したと伝えられている「
星の井」と呼ばれる井戸もあります。
国指定重要文化財 法華経寺祖師堂
国指定重要文化財 法華経寺祖師堂
昭和六十年五月十八日指定
構造形式 桁行七間、梁間七間、一重、比翼入母屋造、正面向拝三間、背面向拝一間、こけら葺、附棟札 十一枚
祖師堂は宗祖日蓮聖人をお祀りするお堂で、最初は鎌倉時代の正中二年(1325)に上棟した小規模な五間堂でした。その後、焼失などのため数回の再建があり、現在の祖師堂は江戸時代中期の延宝六年(1678)に上棟されたものです。
建物は大規模な七間堂で、屋根を二つ並べたような比翼入母屋造の形式を持つのが特徴です。このお堂の他に比翼入母屋造の屋根を持つのは全国でも岡山県にある吉備津神社本殿(国宝)だけです。堂内は、正面の吹き放し外陣、内部の広い内陣、それに両脇の脇人と背面の後陣に区切られています。内外陣境の上部には揚格子、下方には結界と呼ばれる取り外し可能な仕切りを入れ、また内脇陣境にも同様な結界がありますが、大きな行事の際には、これらを開け放って堂内を広く使うことができるように工夫されています。これらは日蓮宗の仏堂によく見られる特有の形式です。内陣は本来板葺きですが、現在は畳を敷詰めてあります。天井は格縁天井といい、碁盤目状の縁の部分は黒漆塗りで、天井板には桔梗紋が描かれているほか、内陣周りの上部は極彩色塗りで荘厳にされています。
祖師堂は関東地方では数少ない大型日蓮宗仏堂の典型で、その規模や形式は当時の庶民信仰の動向を知る上での一指標として位置付けられるとともに、建立年代が明確な建造物としても重要です。
昭和六十二年から始まった解体修理は十年の歳月を費やして平成九年に完了し、建立当初の姿に復元されました。
平成十一年三月 市川市教育委員会
法華経寺祖師堂参道脇案内板より
法華経寺祖師堂には日法師作(1259〜1341)の日蓮聖人像が安置されています。また、扁額(市指定文化財)は室町から江戸にかけて活躍した書家で工芸家、
本阿弥光悦(1558〜1637) の筆によります。
そしてまた明治の文学者
高浜虚子は、明治31年に中山法華経寺に訪れ、祖師堂に腰をおろし物思いにふけった様子を自身の作品「中山寺」に描かれています。
法華経寺祖師堂と桜
春、桜の季節。中山法華経寺祖師堂の参道両脇にはたくさんの桜が咲き、お参りする足元を見ずに上ばかり眺めてしまいます。足元にお気をつけてお参りすることをお勧めします。
星の井は中山法華経寺祖師堂の参道、祖師堂の正面右にある井戸です。宗祖日蓮聖人も用いた井戸として大切に保存されています。
引用・抜粋および参考
法華経寺祖師堂参道脇案内板
市川市ホームページ
市川市立図書館ホームページ
正中山法華経寺誌
日蓮宗各本山名所図会
定本高浜虚子全集第8巻写生文集1「中山寺」毎日新聞社
大辞林
日本世界人名辞典
新制版 日本史辞典
ブリタニカ国際大百科事典
ウィッキペディア
国指定重要文化財 法華経寺祖師堂の交通案内と所在地
国指定重要文化財 法華経寺祖師堂
- JR総武線下総中山駅下車 徒歩7分
- 京成線京成中山駅下車 徒歩4分
- 千葉県市川市中山2−10−1 正中山法華経寺境内
日蓮宗大本山 正中山法華経寺 境内と周辺の観光名所ご案内
本院の奥に鬼子母神堂があります。日蓮大聖人御親刻の鬼子母神像を安置されています。。怨魔退散、子育ての守護神として崇められています。
法華経寺の春は満開の桜に彩られます。夏は龍王池の蓮の花、秋は泣き公孫樹。大荒行入行会、大荒行成満会、節分会など季節ごとに趣があります。 また、春と秋には境内で骨董市も開かれます。
祖師堂 大堂 国指定重要文化財
比翼入母屋造りのお堂。中老日法上人の作の日蓮聖人像が安置されています。両脇には当山歴代6祖の御像を奉安いたします。正面の大額「祖師堂」は本阿弥光悦筆。
江戸時代前期元和5年(1622)18世正教院日慈上人代に本阿弥光室の本願により、加賀(石川県)前田公の寄進により建立されました。三間四面銅板葺。
桁行五間、単層入母屋造、銅板葺、鎌倉時代文応元年(1260)の創建。日蓮聖人自ら一尊四菩薩を開眼安置す。百日百座説法の霊跡す。
切妻造檜皮葺、約七百年前鎌倉愛染堂に在ったものを移築して法華堂の正門に立てたもの。
建築家伊東忠太氏の設計。法華経寺の寺宝を保管している。11月のお風入れの際には、その一部を公開しています。
清正公大神祇とは、戦国武将で大壇越の加藤清正公没後、神仏の化身として信仰するようになったのだそうです。
三大荒行で知られる日蓮大聖人直授の秘伝、大荒行が行われる 11月1日より2月10日までの百日間、この建物で行われます。
三門・赤門とも呼呼ばれています。広壮な建物。扁額「正中山」は桃山から江戸時代に活躍した本阿弥光悦筆によります。
十羅刹女・鬼子母尊神・大黒様を安置し、罪障消滅の霊場として、参詣者が終日、太鼓の音を響かせている。甲子の日は特別祈祷が厳修される。
総門とも呼ばれています。古風にして雄大、太田資順筆の如来滅後、閻浮提内、本化菩薩、初転法輪、法華道場の額を揚げてあります。
日蓮聖人開眼の八大龍王を祠る御堂。雨乞の霊験ありと伝えられています。近年は商売繁盛の守護神として参詣者が後を絶ちません。
法華経寺の守護の宇賀徳正神の本社であり、財福の神として広く知られている。この裏手に清正公堂や太田稲荷が祀られている。
千葉家伝来の北辰妙見尊星を第3代日祐上人が正法護持国土安穏除災招福の守護神として奉安する。11月には酉の市も行われます。
奥之院は日蓮聖人がはじめて説法をした地とされています。また、法華経寺第一世貫主、日常聖人が法華寺を建立した地です。
享保4年(1719)法華経寺59世日禅上人代に鋳造され身丈1丈6尺台座2間半、鋳像では千葉県一を誇る大きさである。
中山法華経寺第一世貫主日常聖人の銅像です。奥之院にもあります。そして日常聖人と息子の日頂上人ゆかりの泣き公孫樹。
法華経寺には重要文化財以外にも、鏡池跡、龍閑橋、宝殿門、鐘楼堂、そしてその周りには季節ごとに咲く花々があります。
安土桃山から江戸初期にかけて活躍した芸術家本阿弥光悦のほか、連歌師宗長、明治の詩人正岡子規ほか法華経寺を訪れています。
中山法華経寺は奥之院や遠寿院、中山四院家などたくさんの素敵な塔頭が建てられています。
法華経寺の周辺には、塔頭寺院ほか東山魁夷記念館などがあり、歴史と文化を楽しめる散歩道です。
中山法華経寺は桜のお花見の名所として、桜の季節にはたくさんの参拝客で賑わいます。