徳川家康公の通った御成街道に続く散歩道
市川市、江戸川区、船橋市などの地域には、
徳川家康公ゆかりのある名所が今も残っています。天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原の征伐の後、徳川家康は江戸に移封され、江戸に入りました。その後すぐに行徳の塩を江戸に運ぶ「塩の道」として小名木川と新川を開き、房総の東金に鷹狩に行くために造られた「御成街道」に続く道として、行徳から船橋にかけても「権現道」などの軍道が開かれました。沿道には
東照大権現徳川家康公ゆかりの名所も残っています。また、東京都と千葉県の境を流れる江戸川は、徳川家康の指示により行われた利根川東遷事業により、江戸と太平洋を結ぶ流通の大動脈となり、江戸名所図会、広重の名所江戸百景や玉蘭斎貞秀の利根川東岸一覧などには新利根川や利根川として紹介され、多くの船が行きかう風景が描かれています。葛飾誌には数百の高瀬舟が行き交う様子が記され、葛飾誌略には「大小の船、日夜間断なく、上り下りの舟唄の声もし」と紹介されています。沿岸には、太田道灌により築城され、
徳川家康により廃城にされた国府台城址の地に開かれた里見公園もあります。そして日本一小さい東照宮、船橋東照宮が、御成街道への入口近くに残っています。
このページでは徳川家康公のゆかりの名所をご案内します。
徳川家康公の足跡の残されている名所
徳川家康の宿泊所として建てられた船橋御殿跡に建てられた日本で一番小さな東照宮。
徳川家康により本殿や社殿を造営され、社領を寄進された、関東一宮の称号のある神社。
徳川家康が祀られている東照宮とも呼ばれた神社
徳川家康の道「権現道」と鷹狩の道「御成街道」を結ぶ歴史ある道。
家康の道「権現道」の先にお寺のたくさんある行徳の寺町通り。
徳川家康が帰依し「徳」の字の使用を許された名刹。
徳川家康が休息をとった「権現堂」が置かれていた寺院。
徳川家康が東金にお鷹狩に行く際に通った道。
権現道や御成街道ができた時にやはり作られたと伝えられる街道。
徳川家康もこの近くで行徳に上陸したと伝えられています。
家康は、小名木川、新川、古川を通って行徳に渡ったそうです。
徳川家康が潮の道として、鷹狩の道として整備した水路。
利根川東遷により江戸への流通の大動脈となった河川。
太田道灌が築城し、徳川家康が廃城にした国府台城址にある公園。