高石神神社は国府台合戦の勇将正木時総の伝説のある神社
高石神神社は国道14号線千葉街道と木下街道が交差する市川市高石神にある鎮守の神社。御祭神は神功皇后。この住宅地に囲まれた神社は江戸名所図会、葛飾誌略、葛飾記にも国府台の合戦の様子と共に紹介されています。
江戸名所図会や葛飾記によると、御神体は馬上軍神の像とあります。高石神神社から少し離れた中山法華経寺の東にある日蓮宗の寺院泰福寺が別当を務めていました。祭礼は9月9日。永禄7年(1564)の第二次国府台合戦に参加した里見氏の家臣で正木時総が埋葬されていると伝えています。
同書に永享2年(1430)、千葉胤貞が中山法華経寺第3世貫首日祐上人に高石神の地を寄進したとあるので、この高石神神社のある地域は日祐上人以前より高石神と呼ばれていたと想像できます。なお江戸名所図会に永享とありますが、日祐上人は正和3年(1314)に貫首となっていたことと、千葉胤貞の没年から、永享ではなく元亨年間(1321〜1323)ではないかと考えます。
また、正木氏の系図に時総という人物がなく、第二次国府台合戦で奮戦し命を落とした信茂のことではないかと考えます。
この高石神神社のある地域は、江戸名所図会には鬼越村深町とありますが、この神社の名にちなんで高石神というそうです。
高石神神社は、中山法華経寺草創期と、戦国時代関東の覇権をかけた戦いの歴史を伝える由緒ある神社です。
出典・抜粋・引用および参考
市川市ホームページ
里見公園内案内板
江戸川区ホームページ
江戸名所図会6 ちくま学芸文庫
房総叢書 : 紀元二千六百年記念. 第8卷葛飾紀
房総叢書 : 紀元二千六百年記念. 第6卷葛飾誌略
戦略戦術兵器辞典 学研
クロニック戦国全史 講談社
新編 市川歴史探訪 崙書房
ウィッキペディア
高石神神社の最寄り駅と住所
- JR総武線「下総中山駅」より徒歩7分。
- 京成線「鬼越駅」「京成中山」より徒歩6分
- 所在地:千葉県市川市高石神1−10
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高石神神社
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