逆井の渡し跡|佐倉道の始発である江戸時代の房総への玄関口
逆井の渡し跡は、首都高速7号小松川線下、旧中川を挟んで東と西両岸に残されている江戸時代の渡し場の跡です。そう、西は江東区亀戸、東は江戸川区小松川の史跡です。逆井の渡しが設置された時期ははっきりとはわかりませんが、江東・江戸川両区の案内板によると江戸時代初めのようです。佐倉道の始発点でもあり、江戸時代には多くの人が房総方面への旅路にこの渡船を利用したことでしょう。明治27年には橋が架けられたとあり、また同年に総武線が本所(錦糸町)発が開通し、渡船の役割も終了しました。現在、昔日の面影をうかがうことはできませんが、南には旧中川河川敷と荒川河川敷との間に都立大島小松川公園の広大な緑地が広がります。春はこの公園のを中心にたくさんの桜の木の花が満開になります。荒川沿岸は、
小松川千本桜公園と名付けられるほどたくさんの桜の木が植えられ、満開の時には、土手が桜色に染まり、秋は旧中川沿岸の欅の並木道が美しく、季節を問わずお散歩の楽しい地域が広がります。逆井の渡し跡周辺は、江戸の歴史を学び、河川敷で爽やかな自然の風を感じられる素敵な散歩道です。
逆井の渡し跡
江東区登録史跡 逆井の渡し跡 亀戸9−12〜江戸川区
逆井の渡しは、江戸時代から明治時代初期まで中川にあった渡しで、亀戸村と西小松川村(江戸川区)を結んでいました。もとは逆井村(西小松川村の北隣り)と亀戸村を結んでいたため、逆井の渡しと称されました。この場所は、万治2年(1659)に開削された堅川の北岸沿いに通る佐倉道と中川の合流点であり、江戸と下総方面をつなぐ交通の要所でした。川幅は40間(約75メートル)ほどで、船は2艘が備えられ、一艘は亀戸村、一艘は西小松川村持ちでした。(新編武蔵国風土記稿)。
開設時期の詳細は不明ですが、延宝8年(1680)の「江戸方角安図」には「総州さくら海道」(佐倉道)と中川が結節する地点に、「小松川舟わたし」の記載がみられ、この頃には渡船が運航していたことがわかります。また、明治時代の記録には、堅川の開削に携わった徳島屋兵右衛門らが寛文年間(1661〜73)に渡船場を開設したとも記されています。
渡船場周辺の様子は、嘉永3年(1850)の「絵本江戸土産」などによると、のどかな田園風景が広がる緑豊かな景観が風流人たちに好まれ、川を渡る人は船上からの眺めを楽しんでいたことがうかがわれます。
渡船は明治以降も続き、「東京府統計表」によると明治10年(1877)頃の渡し賃は人が銭一厘五毛、牛馬・人力車が三厘、馬車が一銭五厘などとなっていました。明治12年に亀戸村と西小松川村により木造の逆井橋が架橋されると、渡しは交通機関としての役割が終え、廃止されました。
平成25年12月
江東区教育委員会
逆井の渡し跡案内板(旧中川東岸)より
逆井の渡し跡
中川をわたる逆井の渡しは、「新編武蔵風土記稿」に「元逆井村にありし渡しなるを以て、今も逆井の渡しとよべり」とあるように、もとは北隣の逆井村にあったものが、その後西小松川村(現在の逆井橋付近)に移転したもののようです。ここに江戸と房総をむすぶ街道がひらかれたからでした。この街道を元佐倉道といい、区内を北東にほぼ直線で横切って、
小岩市川の渡しを渡り、市川から佐倉、成田へ向かいました。明治に入って千葉街道と呼ばれるようになりました。
逆井の渡し付近は風景も良く安藤広重が「名所江戸百景」のひとつに描いています。明治12年(1879)、渡し跡に橋が架けられて、逆井の渡しは廃止されました。架橋当時は村費による架橋費を補うために通行料(橋銭)を徴収する賃取橋でした。明治27年(1897)に、東京府によって架けかえられています。昭和43年(1968)には、江戸川・江東両区の協力で鉄橋になっています。その後、旧中川沿岸の景観整備や、虹の大橋やもみじ大橋・さくら大橋がかけられて、現在のすがたになりました。
江戸川区
逆井の渡し跡案内板(旧中川東岸)より
出典・抜粋・引用および参考
逆井の渡し跡案内板(旧中川西岸江東区)
逆井の渡し跡案内板(旧中川東岸江戸川区)
逆井の渡し跡の最寄り駅と住所
- 都営新宿線「東大島駅」より徒歩8分 程度
- 東京都江戸川区小松川2丁目・江東区亀戸9丁目に隣接する旧中川河岸
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逆井の渡し跡
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