大本山 正中山法華経寺 宝殿門
大本山 正中山法華経寺 宝殿門
法華経寺祖師堂のちょうど裏側、祖師堂と荒行堂の間にあり、門の下の石段を昇ると聖教殿へと続きます。石段の上左側には毛塚静枝の歌碑「聖教殿へ霜一枚のいしだたみ」があります。
また、宝殿門は太客殿、荒行堂、祖師堂を結ぶ回廊でもあります。
写生や写真撮影の人気のスポットでもあり、桜の季節、紅葉の季節にはカメラや画材を持った人を見かけます。
大本山 正中山法華経寺 鐘楼堂・車両祈祷所
大本山 正中山法華経寺 鐘楼堂・車両祈祷所
太客殿、荒行堂に囲まれた駐車場内に車両祈祷所があります。そしてその左前の方丈門をくぐると鐘楼堂になります。また、鐘楼堂は大仏の裏(北側)にあり、祖師堂から大仏と五重塔を見ると、大仏の後ろに鐘楼堂の屋根が見えます。明治の頃は安世院の近くにあり、梵鐘は九條家の寄進によるものだったそうです。鐘楼堂の鐘は毎日朝夕6時と正午に撞かれます。大晦日には参拝者が撞くことができます。
出典・抜粋・引用および参考
正中山法華経寺誌
大本山 正中山法華経寺 絵馬堂
大本山 正中山法華経寺 絵馬堂
絵馬堂には、永井荷風によると一孟斎芳虎の烏帽子武者の絵があります。
「十月三一日、陰、正午歩みて中山に至る、法華経寺の境内鬼子母神祠前の絵馬堂を見るに一孟斎芳虎の描ける烏帽子武者人物あり、、また油絵の西洋風景があり、色彩剥落し画布半破れたれど珍しければ、奉納者の名を見るに、千葉県下長柄郡□□□□大字五井、片岡□□、米国サンフランシスコ在留せんまつとあり、いかなる女にや・・・」
絵馬堂についての説明書きはありません。いつこの場所に建てられたのかは、江戸名所図会や市川図書館レファレンスカウンター「新・参考業務月報2012年10・11月号」を見る限り判りません。
江戸名所図会では、現在の絵馬堂の場所に「常唱堂」があり、また永井荷風の「断腸亭」には、「境内鬼子母神跡前」とあり、新・参考業務月報には「額堂」という茶店の命名の由来と位置に関係して、「昭和13年築の記載があり」とあるのみ、由来等は不明です。
出典・抜粋・引用および参考
新版断腸亭日乗 第六巻 株式会社岩波書店
ちくま学芸文庫「江戸名所図会6」
市川図書館レファレンスカウンター「新・参考業務月報2012年10・11月号」
大本山 正中山法華経寺 龍渕橋
大本山 正中山法華経寺 龍渕橋(龍閑橋)
龍渕橋は昭和20年に造られたそうです。欄干には鬼子母神の象徴のザクロが置かれています。
以前は蛍の名所だったそうです。この橋が架かった当時もきっと蛍の飛ぶ水の流れる小川があったのでしょうが、現在では水は流れていません。
大晦日はこの橋を越えて仁王門まで参拝する壇信者で溢れます。
出典・抜粋・引用および参考
正中山法華経寺誌
日蓮大聖人ゆかり 鏡池跡
日蓮大聖人ゆかりの 鏡池跡
法華経寺では高祖日蓮大聖人御真刻の鬼子母神像が本院奥の鬼子母神堂に安置されていますが、この像は、文永元年(1264)11月11日、日蓮聖人は小松原で眉間に傷を負う危難に遭遇した際、鬼子母神が出現し日蓮聖人の一命が救わました。その後中山に避難し、鏡池に自らの顔を映した時に眉間の傷を見つけました。そして手当てをし、養生のかたわら鬼子母神霊験に深く感じその尊像を自ら彫刻開眼されたものと伝えられています。その御真刻の像は、法華経寺の鬼子母神堂に安置されているそうです。
現在の池の後は上記石塔を残すのみで、とても池があったとは思いませんが、日蓮聖人の時代とはかなり地形が変わっているようですが、鎌倉時代には現在の法華経寺のすぐ目の前まで二子浦と呼ばれる海が迫っていたそうです。中山地区東隣に船橋市二子町という町名の地域がありますが、この地名は二子浦という海の関係があるのでしょう。法華経寺の黒門を出て、千葉街道沿い東に300メートルほどにある寶珠山多門院の寺院縁起に、「この地は昔、二子ヶ浦といい、日蓮聖人が鎌倉へ布教におもむく時に、船出された霊蹟であり・・・。」とあります。江戸名所図会が発行されたころにはすでに池はなかったようです。
出典・抜粋・引用および参考
寶珠山多門院案内札より
市川よみうり「四季折々くらし」2005年8月5日より
正中山法華経寺誌
正中山法華経寺の交通案内と所在地
正中山法華経寺の最寄り駅と住所
- JR総武線下総中山駅下車 徒歩5分
- 京成線京成中山駅下車 徒歩1分
- 千葉県市川市中山2−10−1
日蓮宗大本山 正中山法華経寺 境内と周辺の観光名所ご案内
本院の奥に鬼子母神堂があります。日蓮大聖人御親刻の鬼子母神像を安置されています。。怨魔退散、子育ての守護神として崇められています。
法華経寺の春は満開の桜に彩られます。夏は龍王池の蓮の花、秋は泣き公孫樹。大荒行入行会、大荒行成満会、節分会など季節ごとに趣があります。 また、春と秋には境内で骨董市も開かれます。
比翼入母屋造りのお堂。中老日法上人の作の日蓮聖人像が安置されています。両脇には当山歴代6祖の御像を奉安いたします。正面の大額「祖師堂」は本阿弥光悦筆。
江戸時代前期元和5年(1622)18世正教院日慈上人代に本阿弥光室の本願により、加賀(石川県)前田公の寄進により建立されました。三間四面銅板葺。
鎌倉時代文応元年(1260)創建。日蓮聖人自ら一尊四菩薩を開眼安置。百日百座説法の霊跡。
切妻造檜皮葺、約七百年前鎌倉愛染堂に在ったものを移築して法華堂の正門に立てたもの。
建築家伊東忠太氏の設計。法華経寺の寺宝を保管している。11月のお風入れの際には、その一部を公開しています。
清正公大神祇とは、戦国武将で大壇越の加藤清正公没後、神仏の化身として信仰するようになったのだそうです。
三大荒行で知られる日蓮大聖人直授の秘伝、大荒行が行われる 11月1日より2月10日までの百日間、この建物で行われます。
三門・赤門とも呼呼ばれています。広壮な建物。扁額「正中山」は桃山から江戸時代に活躍した本阿弥光悦筆によります。
十羅刹女・鬼子母尊神・大黒様を安置し、罪障消滅の霊場として、参詣者が終日、太鼓の音を響かせている。甲子の日は特別祈祷が厳修される。
総門とも呼ばれています。古風にして雄大、太田資順筆の如来滅後、閻浮提内、本化菩薩、初転法輪、法華道場の額を揚げてあります。
日蓮聖人開眼の八大龍王を祠る御堂。雨乞の霊験ありと伝えられています。近年は商売繁盛の守護神として参詣者が後を絶ちません。
法華経寺の守護の宇賀徳正神の本社であり、財福の神として広く知られている。この裏手に清正公堂や太田稲荷が祀られている。
千葉家伝来の北辰妙見尊星を第3代日祐上人が正法護持国土安穏除災招福の守護神として奉安する。11月には酉の市も行われます。
奥之院は日蓮聖人がはじめて説法をした地とされています。また、法華経寺第一世貫主、日常聖人が法華寺を建立した地です。
享保4年(1719)法華経寺59世日禅上人代に鋳造され身丈1丈6尺台座2間半、鋳像では千葉県一を誇る大きさである。
中山法華経寺第一世貫主日常聖人の銅像です。奥之院にもあります。そして日常聖人と息子の日頂上人ゆかりの泣き公孫樹。
鏡池跡、絵馬堂、宝殿門、龍閑橋
法華経寺には重要文化財以外にも、鏡池跡、龍閑橋、宝殿門、鐘楼堂、そしてその周りには季節ごとに咲く花々があります。
安土桃山から江戸初期にかけて活躍した芸術家本阿弥光悦のほか、連歌師宗長、明治の詩人正岡子規ほか法華経寺を訪れています。
中山法華経寺は奥之院や遠寿院、中山四院家などたくさんの素敵な塔頭が建てられています。
法華経寺の周辺には、塔頭寺院ほか東山魁夷記念館などがあり、歴史と文化を楽しめる散歩道です。
中山法華経寺は桜のお花見の名所として、桜の季節にはたくさんの参拝客で賑わいます。