大本山 正中山法華経寺 仁王門
大本山 正中山法華経寺 仁王門
中山法華経寺の仁王門は、JR下総中山駅からも見え、京成中山駅、総門を過ぎると坂の上に立ちはだかる大きな門です。仁王門は、三門又は山門、赤門と呼ばれ黒門と呼ばれている
総門とあわせて地元で親しまれています。昔は高い建物もあまりなかったので、
行徳の北の方からも見えたそうです。江戸時代末期に修築されている記録もあり、江戸名所図会にも掲載されているところから、江戸時代にはこの場所にあったと想像されます。仁王門に掲げられている「正中山」の扁額は
本阿弥光悦筆で市川市指定の文化財です。 仁王門をくぐり抜けた境内参道両脇に
桜の木々が並び、春には多くの参拝者で賑わいます。
本阿弥光悦
本阿弥光悦 永禄元年〜寛永14年(1558〜1637)
安土桃山時代から江戸時代初期の芸術家。京都の人。
刀剣鑑定の名家、本阿弥家分家、本阿弥光二の長男。通称は次郎三郎、のち光悦。号は自得斎、徳有斎、太虚庵。
家業の刀剣研磨、鑑定はもちろん、書、製陶、蒔絵、茶道などにも精通した。書は独自の光悦流を創始し、俵屋宗達などに下絵を描かせた料紙との調和美を誇る和歌を多く書き、近衛信尹、松花堂昭乗とともに「寛永の三筆」と並び称された。「金銀泥下絵色紙(奈良市大和文華館所蔵)」は有名。製陶では国宝「楽焼白片身替茶碗(銘不二山)」「楽焼黒茶碗(銘雨雲)」をはじめ、楽焼茶碗に傑作を残した。蒔絵は古典に主題を求めたものが多く、鉛、錫、青貝を使用した国宝「舟橋蒔絵硯箱(東京国立博物館蔵)」が代表作。陶芸・漆芸でも、光悦楽焼・光悦蒔絵の創始者として一家をなす。また、角倉素案らとともに、豪華なひらがな活字本の謡曲「嵯峨本伊勢物語」を刊行した。茶道は初め古田織部を師とし、後に武野紹鴎系統の陀茶に傾倒した。絵画彫刻には確証ある遺品わない。
元和元年(1615)に徳川家康から京都洛北鷹峯の敷地を与えられ、一族、配下の工芸家を集めて芸術村を作った。
孫の本阿弥光甫が記した「本阿弥行状記」に詳しい。
本阿弥光悦筆、法華経寺仁王門の扁額
春の桜の季節には、桜を求めてたくさんの参拝者が仁王門をくぐります。
引用・抜粋および参考
正中山法華経寺誌
日蓮宗各本山名所図会
江戸名所図会6 ちくま学芸文庫
ブリタニカ国際大百科事典
デジタル大辞林
クロニック戦国全史
正中山法華経寺 仁王門の交通案内と所在地
正中山法華経寺 仁王門
- JR総武線下総中山駅下車 徒歩5分
- 京成線京成中山駅下車 徒歩2分
- 千葉県市川市中山2−10−1 正中山法華経寺境内
日蓮宗大本山 正中山法華経寺 境内と周辺の観光名所ご案内
本院の奥に鬼子母神堂があります。日蓮大聖人御親刻の鬼子母神像を安置されています。。怨魔退散、子育ての守護神として崇められています。
法華経寺の春は満開の桜に彩られます。夏は龍王池の蓮の花、秋は泣き公孫樹。大荒行入行会、大荒行成満会、節分会など季節ごとに趣があります。 また、春と秋には境内で骨董市も開かれます。
比翼入母屋造りのお堂。中老日法上人の作の日蓮聖人像が安置されています。両脇には当山歴代6祖の御像を奉安いたします。正面の大額「祖師堂」は本阿弥光悦筆。
江戸時代前期元和5年(1622)18世正教院日慈上人代に本阿弥光室の本願により、加賀(石川県)前田公の寄進により建立されました。三間四面銅板葺。
鎌倉時代文応元年(1260)創建。日蓮聖人自ら一尊四菩薩を開眼安置。百日百座説法の霊跡。
切妻造檜皮葺、約七百年前鎌倉愛染堂に在ったものを移築して法華堂の正門に立てたもの。
建築家伊東忠太氏の設計。法華経寺の寺宝を保管している。11月のお風入れの際には、その一部を公開しています。
清正公大神祇とは、戦国武将で大壇越の加藤清正公没後、神仏の化身として信仰するようになったのだそうです。
三大荒行で知られる日蓮大聖人直授の秘伝、大荒行が行われる 11月1日より2月10日までの百日間、この建物で行われます。
仁王門(赤門・三門)
三門・赤門とも呼呼ばれています。広壮な建物。扁額「正中山」は桃山から江戸時代に活躍した本阿弥光悦筆によります。
十羅刹女・鬼子母尊神・大黒様を安置し、罪障消滅の霊場として、参詣者が終日、太鼓の音を響かせている。甲子の日は特別祈祷が厳修される。
総門とも呼ばれています。古風にして雄大、太田資順筆の如来滅後、閻浮提内、本化菩薩、初転法輪、法華道場の額を揚げてあります。
日蓮聖人開眼の八大龍王を祠る御堂。雨乞の霊験ありと伝えられています。近年は商売繁盛の守護神として参詣者が後を絶ちません。
法華経寺の守護の宇賀徳正神の本社であり、財福の神として広く知られている。この裏手に清正公堂や太田稲荷が祀られている。
千葉家伝来の北辰妙見尊星を第3代日祐上人が正法護持国土安穏除災招福の守護神として奉安する。11月には酉の市も行われます。
奥之院は日蓮聖人がはじめて説法をした地とされています。また、法華経寺第一世貫主、日常聖人が法華寺を建立した地です。
享保4年(1719)法華経寺59世日禅上人代に鋳造され身丈1丈6尺台座2間半、鋳像では千葉県一を誇る大きさである。
中山法華経寺第一世貫主日常聖人の銅像です。奥之院にもあります。そして日常聖人と息子の日頂上人ゆかりの泣き公孫樹。
法華経寺には重要文化財以外にも、鏡池跡、龍閑橋、宝殿門、鐘楼堂、そしてその周りには季節ごとに咲く花々があります。
安土桃山から江戸初期にかけて活躍した芸術家本阿弥光悦のほか、連歌師宗長、明治の詩人正岡子規ほか法華経寺を訪れています。
中山法華経寺は奥之院や遠寿院、中山四院家などたくさんの素敵な塔頭が建てられています。
法華経寺の周辺には、塔頭寺院ほか東山魁夷記念館などがあり、歴史と文化を楽しめる散歩道です。
中山法華経寺は桜のお花見の名所として、桜の季節にはたくさんの参拝客で賑わいます。