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宝珠山地蔵院延命寺と首切り地蔵

宝珠山地蔵院延命寺の入口宝珠山地蔵院延命寺本堂
宝珠山地蔵院延命寺石仏延命寺の首切地蔵
真言宗豊山派宝珠山地蔵院延命寺は安土桃山時代末1596年、徳川家康の江戸入り後に、真誉法印により建立された寺院と伝えられています。境内に多くの石仏が祀られ、また、ねね塚と以前に呼ばれ、今は首切り地蔵と呼ばれているお地蔵さまも祀られています。宝珠山地蔵院延命寺行徳浦安三十三所観音霊場第28番札所です。

宝珠山地蔵院延命寺

宝珠山地蔵院延命寺 由来・いわれ

慶長元年(1596)建立された。正式には真言宗豊山派宝珠山地蔵院延命寺という。東京の小岩「善養寺」の末寺といわれている。本尊は、金剛界大日如来。現在の本堂は、昭和56年(1981)に建立されたものである。

宝珠山地蔵院延命寺 祭事・みどころ

女人禁制の橋渡し(市川から江戸川へ渡ること)を破った駆落ち夫婦(イネと久三郎)と船頭が正保元年(1644)江戸の今井で処刑された。これを憐れんだ当時の村人たちは、後世に弔うため、現在の新井水門付近に石地蔵を建立した。この石地蔵は「首切り地蔵」と呼ばれ、寛政7年(1795)、当時の住職が、石地蔵を同場所に再建立したが、その後、延命寺に移された。
現在の「首切り地蔵」は、昭和に再建立されたものである。また、明治元年(1874)、延命寺に「新井小学校」が設置された。
現在の「市立新井小学校」の前身である。当時は、「お寺の学校」といわれ、生徒男34名、女13名、教員1名でした。

宝珠山地蔵院延命寺門前案内板より

首切り地蔵

首切り地蔵 由来

この地蔵は、もと江戸川堤防の新井水門わきにあり、ねね塚と呼ばれていた。
ねね塚は、下総生実の藩主森川半弥の家臣、久三郎とイネが駆け落ちし、女人禁制の江戸川を渡ろうとしたが幕吏に捕えられ、みせしめのため男女両人と船頭二人とその女房の5人がはりつけの刑に処せられた。(天明2年)船頭たちは、菩提寺へ引き取られたが、両人はこの地に埋められた。
後に村人たちがこれを哀れみ、石地蔵を立て後世を弔った。
不思議なことに、この石地蔵は村人が通るとかならず首が落ちていた、何度セメントでつけても落ちてしまうので村人は首切り地蔵と呼ぶようになった。
いまの地蔵は老朽化が甚だしく現住職及び総代世話人一同で再建したものである。
住職敬白

宝珠山地蔵院延命寺首切り地蔵前案内板より


抜粋・引用および参考
宝珠山地蔵院延命寺案内板
延命寺首切り地蔵前案内板
改訂新版 市川のむかし話
江戸川ライン歴史散歩 崙書房
市川市ホームページ

宝珠山地蔵院延命寺への交通案内と所在地

宝珠山地蔵院延命寺の最寄り駅と住所

  • 東京メトロ東西線「南行徳駅」より徒歩15分
  • 千葉県市川市新井1−9−22

宝珠山地蔵院延命寺周辺の地図

宝珠山地蔵院延命寺周辺の案内図

新浜野鳥の楽園周辺の案内図のPDF

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※ 五番札所は所在地不明。九・十番、十六・十七番、十八番・十九番は統合。

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