海照山花蔵院は浦安で一番古い寺院
海照山花蔵院は鎌倉時代にあったと伝えられる、浦安で一番長い歴史を持つ、新義真言宗の寺院です。境内には大日如来を本尊とする本堂、庚申堂、地蔵堂、不動堂をはじめ、浦安の発展に大きく寄与した3名の義民を供養するために建てられた浦安市有形文化財の公訴貝猟願成の塔、そして多くの石仏があり、花蔵院の歴史の長さを今に伝えています。海照山花蔵院は
浦安行徳三十三所観音霊場第30番札所です。
海照山花蔵院地蔵堂
地蔵堂 由縁
大水で境川から流されてきたお地蔵様を拾い上げ、さかい橋、猫実側のたもとにお祀りしていましたがある時、堀江地区で大火事があり、さかい橋が焼失。
橋再建にあたりこの場所に移されたと伝えられています。
大火事で猫実地区が延焼するのをお地蔵様が守ってくれたと昔から大切にされてきました。
地蔵堂奉納
昭和44年9月吉日
海照山花蔵院地蔵堂脇案内板より
※ 奉納者7名の氏名については割愛させて頂きました。
公訴貝猟願成の塔
公訴貝猟願成の塔(浦安市指定有形文化財)
昭和50年8月18日(1975)市指定有形文化財
江戸時代も後期に入った頃のことです。
堀江・猫実村(浦安)と船橋村の漁師たちは、漁場の境界をめぐって争っていました。船橋村では「三番瀬(蛎内)は船橋村の漁場」と主張したのに対し、堀江・猫実村は「堀江・猫実村と船橋村の入会漁場」と主張して互いに譲らず、天明2年(1782)1月、評定所にまで及ぶ訴訟となりました。そこで堀江・猫実村では花蔵院(けぞういん)の宥賢和尚(ゆうけんおしょう)を中心に対策を考えましたが、よい対策もなく困っていました。
当時、猫実村に長三郎、長兵衛、善三郎という人物がいました。長三郎は一人で代官所に乗り込み交渉しようとしましたが、役人に捕らえられ、同年9月に獄死してしまいました。
友の死を知った長兵衛は、老中田沼意次に駕籠訴しましたが、その場で捕らえられてしまいました。その後村人たちの嘆願により釈放されましたが、船で帰る途中、小名木川付近(江東区)で突如容態が悪くなり非業の死を遂げました。
二人の友を失った善三郎は、日頃信仰している成田の不動様に21日間の願をかけました。天明3年3月4日、善三郎はいつもどおり参拝し大雪のなか帰り始めましたが、吹雪が激しくなり、原木付近(市川市)で気力が尽き果てその場で死んでしまいました。3人を失った堀江・猫実村の漁師たちはより一層結束を深め、天明8年(1788)、この訴訟に勝訴したといわれています。
この石塔は漁民の幸せを願って、村の発展に殉じた3人の冥福を祈るとともに、業績を長く後世に伝えるため「天明の3義人」として、明治22年(1889)、村人の浄財によって建立されたものです。
平成20年2月
浦安市教育委員会
海照山花蔵院公訴貝猟願成の塔前案内板より
抜粋・引用および参考
海照山花蔵院地蔵堂脇案内板
海照山花蔵院公訴貝猟願成の塔前案内板
浦安市ホームページ
房総叢書 紀元二千六百年記念 第6卷葛飾誌略
江戸川ライン歴史散歩 崙書房
海照山花蔵院の最寄り駅と住所
- 東京メトロ東西線「浦安駅」より徒歩10分
- 千葉県浦安市猫実3−10−3
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