海岸山高谷院安養寺|行徳浦安三十三所観音札所第12番札所
海岸山高谷院安養寺は江戸川にほど近い美しい寺院です。海岸山とある通り、製塩業で賑わったこの高谷の地の歴史を今に伝えています。
門の先には、大きな松の枝が、まるで錦絵の雲のように本殿の前に広がり、松の緑と本殿の朱が独特の風情を奏でます。本殿前には満面の笑顔を浮かべた布袋様が参拝客を出迎えでくれます。また、仏足跡、筆塚などもあり、「はだし大師」として愛されています。
海岸山高谷院安養寺は
行徳浦安三十三所観音札所の第12番札所であり、また、
市川七福神の寺院でもあります。
海岸山高谷院安養寺
海岸山高谷院安養寺 由来・いわれ
海岸山高谷院安養寺は、戦国時代中頃天文3年(1534)に建立された古刹。海岸山の山号が表す通り、創建当時は安養寺のすぐ前まで江戸湾(東京湾)が迫っていました。江戸時代に入り、徳川将軍家の直轄領である行徳の一部として安養寺の建つ高谷地域も製塩業で栄えていました。明治以降の産業の発達に伴い、江戸川放水路が開削され行徳から川を隔てて分離され、海も埋め立てが進み遠くなり、風景は大きく変化しましたが、安養寺の建つ地域には伝統的な和風建築の建物も見られ、江戸明治の歴史を感じることができます。江戸時代には俳人小林一茶も訪た名刹です。
海岸山高谷院安養寺 歳時・みどころ
海岸山高谷院安養寺は「はだし大師」と地域で親しまれています。安養寺本堂の回廊には、四国八十八ヵ所石が埋め込まれており、「はだし」で巡礼すると四国八十八ヵ所巡礼と同様の霊験があると言われています。
本堂前には「仏足跡」も建立され、門の脇には筆塚もあります。
行徳・浦安33ヶ所観音霊場の12番札所
市川七福神の布袋尊
布袋尊像(市川七福神の7番)
布袋尊
唐時代末に実在した禅僧。名は契此(けいし)、号を長汀子(ちょうていし)という。福々しい面相で、巨腹をもち、布の袋を背負って旅をする修行僧として知られ、大きな袋にはさまざまな財貨が入っていて、布袋の行くところ幸運がもたらされるという信仰が生じた。世紀末に出現する弥勒の化身ともされる。日本には室町時代、禅画の渡来とともに受容され七福神の一つとして民間に広まった。
笑門来福・夫婦円満・子宝の神として信仰が厚い。
海岸山高谷院安養寺布袋尊造前案内板 より
市川七福神
- 1番 毘沙門天 国分寺(国分3−20−1)
- 2番 恵比須天 所願寺(宮久保4−12−3)
- 3番 大黒天 本将寺(大野町2−919−1)
- 4番 毘沙門天 淨光寺(大野町3−1917)
- 5番 福禄寿・寿老人 妙正寺(北方町4−2122)
- 6番 弁財天 中山奥之院(若宮2−21−1)
- 7番 布袋尊 安養寺(高谷2−16−35)
- 8番 一所七福神廻り 妙応寺(本行徳2−18)
抜粋・引用および参考
海岸山高谷院安養寺内案内板
海岸山高谷院安養寺布袋尊造前案内板
市川市ホームページ
海岸山高谷院安養寺の最寄り駅と住所
千葉県市川市高谷2-16-35
東京メトロ東西線「原木中山駅」より徒歩10分
行徳・浦安三十三所観音霊場札所巡りの 寺院所在地・住所のご案内
行徳・浦安三十三所観音霊場札所巡り 寺院一覧
※ 五番札所は所在地不明。九・十番、十六・十七番、十八番・十九番は統合。