海中山了極寺|行徳浦安三十三所観音札所第11番札所
東京メトロ東西線原木中山駅から成田道を外れて江戸川方向進むと、昔製塩で栄えた様子も伺える大きな和風建築の家々の点在する住宅街の中に、
行徳浦安三十三所観音札所第11番札所、
海中山了極寺はあります。
江戸名所図会や葛飾記、葛飾誌略などでは、円光大師法然上人の描いた自画像「鏡の御影」と芝増上寺第36世祐天上人がこの寺を訪れて書いた直筆の大塔婆が安置されている浄土宗の名刹です。
海中山了極寺
海中山了極寺
海中山了極寺は江戸名所図会、葛飾記、葛飾誌略などに紹介される行徳の名刹。現在では江戸川放水路によって行徳と高谷の地は分断されていますが、江戸時代には了極寺のある高谷の地は行徳領に含まれた、製塩業で栄えた地域でした。
了極寺は元禄4年(1691)に登誉和尚にり船橋の浄土宗浄勝寺の末寺として開かれました。山号は海中山。創建当時の高谷の地の様子を伝える山号です。
了極寺には円光大師法然上人の御真筆と伝えられる鏡御影と徳川家宣の信任篤い芝増上寺36世祐天上人直筆の塔婆が安置されていると紹介されています。なお、葛飾記には錦の御影と紹介されています。本尊は阿弥陀如来。
円光大師法然上人の御影は、法然上人が讃岐(香川県)に遠流された際に随行した阿波之助という者に、上人自ら鏡を見て描いた自画像を授けたもの。この阿波之助が後に仏法を志し東国に下った際にこの高谷の地で磯貝新兵衛と出会い、彼の家に寄宿し、その後二人で諸国を巡り、阿波之助がみちのくの地で病に倒れ、新兵衛が遺品としてこの鏡の御影を高谷に持ち帰り、了極寺の建つ地に小さな庵を立て本尊として大切に祀っていたと伝えられています。
また、祐天上人は法然上人550回忌の法要を、鏡御影で当時有名になっていた了極寺で開き、自筆の塔婆を残したと伝えれれています。この塔婆は疫病平癒にご利益があるとして有名でした。葛飾誌略には「上様迎えて御拝被遊ばし也」と記されています。
尚、了極寺は貞享3年(1686)に祐天上人により建てられたという説もあります。
海中山了極寺は行徳・浦安三十三所観音札所の第11番札所でもあります。
抜粋・引用および参考文献
江戸名所図会6 ちくま学芸文庫
房総叢書 紀元二千六百年記念 第8卷葛飾紀
房総叢書 紀元二千六百年記念 第6卷葛飾誌略
浄土宗千葉教区ホームページ
「葛飾紀」の世界 文芸社
江戸川ライン歴史散歩 崙書房
ウィッキペディア
海中山了極寺の最寄り駅と住所
東京メトロ東西線「原木中山駅」より徒歩10分
千葉県市川市高谷2-16-4
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